☆ 議員としての活動 ☆
     

     1995年から2期8年、東京都文京区議会議員(無所属)を務める。
     自宅マンションから見えた建設中の区庁舎(シビックセンター)の豪華さに疑問を
     持ったのがきっかけ。
     「こんなりっぱな区庁舎はいらない」と市民運動に参加し、「誰も立たないのなら」と、
     自らが区議に立候補。
     もう1つのきっかけは、「国費留学をさせてもらったのに、自分はまだ何の恩返しも
     していない。」という思いだった。
     一般的な選挙運動を一切行なわずに、区民の支持を得て上位当選。
     1996年、全国の議員・市民に呼びかけて「開かれた議会をめざす会」を設立
     
代表を務めた後、事務局長。
     一市民の立場を貫き、都議会や都知事に対しても税の無駄遣いに疑問を呈する
     監査請求や住民訴訟を、仲間の議員や支持者と共にいくつも行なった。
     自身は「議員は税金で活動させてもらっていることを忘れてはならない」と不必要な
     議員報酬は区へ返還。
     その基本は、ドイツ留学時代に接した ドイツにおける地方議員はそれぞれの分野の
     専門家によるボランティア、という住民による町づくりの姿勢、「もの言う住民」の姿である。

     2002年の区の集団検診で、既にかなり進行した乳がんが発見された。
     放射線治療も始まり議員活動を続けることは断念。
     支持者からは当然3期目も立候補するものと期待されていたが、2期で引退。 
     しかし、治療と並行して個人的に活動は続け、東京都知事に対して起こしていた
     海外出張費の違法支出返還を求める訴訟の判決が、本人の死後、2006年6月に出された。
     東京地裁は都知事に1部を返還するよう命じた。最後の住民訴訟であった。
        (2009年4月28日、最高裁は上告を棄却、この住民訴訟は結審した。)

若林ひとみ区議会だより  
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No.20



  * お願い! *
     若林ひとみの人生の記録を残すために、議員時代の資料を集めています。
     本人が発行していた「若林ひとみの文京区議会便り」(自身の活動や議会の報告・
     感想など)は、支援して下さっていた方々のご協力でNo.2〜No.14、
     No.16〜最終号No.20まで揃えることができました。
     ただ、No.1の創刊号とNo.15が残念ながら見つからずにおります。
     もしお持ちの方がおいででしたら、ご連絡をいただけますか?
     その他に何か情報がございましたら、ぜひご一報下さい。
     お願いいたします。 (E−Mail

キャッチフレーズ 公金使途にはまず議員が襟を正そう
名前 若林ひとみ
ふりがな わかばやし・ひとみ
公職の種類と選挙区 東京都文京区議
選挙区の市区町村名 文京区
政治家歴 文京区議2期目
党派 無所属
最終学歴と職歴 東京都外国語大学ドイツ語学科卒、銀行(外資系)、出版社勤務ののち、フリーの通訳、翻訳家、ライター、日独マスコミの取材コーディネーター
生年月日 1953/09/05
自己PR ◆前期から、入札制度の改善に取り組んでいます。公共工事に限らず、清掃等の業務委託でも、競争原理が働いているのか疑問を感じる入札が少なくありません。あらゆる分野において公正な入札が行われるようになれば、税金の大きな節約になるはずです。
◆教育委員会の活性化を求めています。日本全国の教育委員会が中野区並に活発な活動や発言をするようになれば、日本の教育も変わるでしょう。
◆一番やりたいと思うのは、日本の街並みをヨーロッパのように美しく落ち着きのあるものにし、緑と花のある公園を増やしていくことですが、一区議としてできることには限界があります。ただ、どうすればこれを実現できるか、は考えていきたいと思っています。
◆議員の厚遇や特権を見直し、民意が反映され、住民に開かれた議会をめざす運動は今後も続けていきます。