「 若林ひとみの文京区議会だより No.3 1996年冬号 」
1996年1月22日 発行 全6ページから抜粋・要約
(区議会便りの後に、議員時代のホームページからの文章を掲載)
平成6年度決算について
平成6年度決算は、昨年11月7日から12月5日まで開かれた第4回定例会で認定された。
無所属議員は、予算もしくは決算のどちらかの委員会にしか出られず、今回私は予算委員会に
所属。所属していない決算委員会は傍聴しかできず、意見表明の機会がない。
予算・決算は委員会での審議後、本会議で簡易採決(座ったまま「異議なし!」「異議あり!」と
叫ぶ)される。私は「せめて起立採決にして、無所属議員が態度表明できるようにしてほしい」旨の
要望書を議長に提出したが、今回は見送られた。
私は、平成6年度決算を認定していない。
景気の低迷や税収減を理由に「一課一事業の見直し」で予算カット(区民サービスの低下)しているのに、
区長交際費(500万円)と議長交際費(400万円)は聖域扱いで、シビックセンター落成式には1120万円も。
公会堂・シビックセンター建設特別委員会から
昨年11月10日の委員会で、”公会堂の座席数1802席”の見直し案は、私と共産党以外は
全員賛成で可決、これに関連し、設計会社に再設計を依頼する補正予算1億2000万円も可決された。
9月の委員会で、私や他の委員が質問を求めて挙手していたにもかかわらず、「5時になった」という
理由で委員長が強引に審議を打ち切った。
これを受け、私は今委員会に先立ち「公会堂建設は工事費だけでも200億円近い区民の税金を投入する
大事業。委員会の終了を急ぐことなく、審議に充分時間をかけて運営してほしい」と要望書を提出した。
しかし委員長は「もう3日もやってるんだから、いいじゃないか」と採決を急ぎたい様子。
”3日”とは、見直し案の説明を受けた8月9日・前述のように5時で終了した9月19日・そして今回のこと。
実質たった1回の不充分な審議で、こんな大事なことを決めてしまっていいのだろうか?
党所属の議員は言う。「1800席はないと世界の一流オーケストラやオペラは呼べない」と。
しかし、一体誰が呼ぶのか? 私はかつて、世界超一流のオーケストラやクラシックの音楽家の来日公演の
際に通訳として仕事をしたが、公演はそう簡単にできるものではない。
昨年11月4日付けの日本経済新聞の記事によれば、公立ホールの約6割が自主公演で赤字を出している。
ホール運営能力のない自治体はブローカー(音楽事務所)頼み。ブローカーは当然、手数料を加算する上、
人気公演は高くて手を出せない自治体が多い。
どうかみなさん、どうしたら文京区をよくすることができるか、一緒に考えて下さい。
公会堂・シビックセンターに対するみなさんの意見をご紹介
◎ いつのまにか、とてつもない規模の醜悪な建物ができてびっくり。たかだか8万世帯の区政サービス施設
とは思えない威容だ。謙虚で歴史観のあるただずまいが文京区らしさだと思う。
◎ シビックセンターも、できてしまったのでどうしようもないが、あんな施設は無駄だらけで外観も極めて奇怪。
◎ シビックセンター等、定年退職後の私らには何ら必要なし。税金の無駄使いには閉口。
◎ シビックセンターについては、以前よりこんな無駄なものを、といやでたまらなかった。
区長と話す会に1度参加したが、「聞きおく」という態度で納得いく返事は得られなかった。
ゴミ処理場も持たない文京区が、なぜあのような大きくぶざまなものを建てるのか。
◎ 納めた税金がどのように使われているか、あまり関心を持たずにいたが、あのようなシビックセンターができ
教育費について不安と疑問がでてきた。
◎ 高齢者へのケアや介護の体制が立ち遅れていて、ホールへの投資は先送りするのが当然なのに、
時代に合わぬことを平然とする諸公は納税者の気持ちを汲む能力がないのか?
◎ 今、コンサートホールも競争になっているので、1000席ぐらいでちょうどいい。
◎ シビックセンターにも別の見方が可能だ。都庁と共に東京の一時期のモニュメントになるのではないか。
多くの区民がただで登って喜んでいるという面もある。モニュメントとは、そんなものではないか。
シビックセンターは都庁と共に、バブル時代のモニュメントとして歴史に残る建物になると私も思う。
ただ、ヨーロッパの建造物にたとえると、パリのベルサイユ宮殿か南ドイツのノイシュバンシュタイン城の方が
(モニュメントとしては)適当ではないか?どちらも、国王が国民の生活を犠牲にして建てたもので国庫が破綻、
革命が起きて王制が廃止され、共和制となった。
願わくば、文京区が最後であらんことを。
ドイツ・オーストリア視察報告
昨年12月11〜13日にドイツ・ケルン市で市議会を、
13〜18日はオーストリア・ウィーン市で総選挙を取材・視察してきた。
「日独地方議員の報酬や仕事ぶりを比較調査する」のが私の選挙公約の1つだった。
ケルン市に住む国際放送局勤務の(ドイツ人の)友人が住民運動をしているので、「”緑の党”の議員に会いたい」
と依頼した。彼女は、「今後のために、緑の党だけでなく二大政党にも顔を出しておくべき」と、
CDU(キリスト教民主同盟)とSPD(社会民主党)にも連絡を取ってくれた。
SPDで私に会ってくれたのはケルン市の副市長(女性)、CDUの議員とはお互いに都合がつかず、次回面会の
約束をした。
緑の党では副代表(29才・司法書士)と面会。約束の1時間では足りないぐらいに話がはずんだ。
なぜ私が緑の党(環境保護を唱える平和主義政党)の議員に会いたいと思ったか。
それは、議員や支持者に若い人が多いこの党が、政界の古い慣習にいろいろと風穴を開けてきたからである。
たとえば服装、本会議にもセーター・Tシャツ・ジーパン・スニーカーで出席するというし、議員の歳費値上げには
党として反対している。
緑の党と他党とのあつれき、世間での風当たり、世論の応援など、私が参考にできることがあるのではないか。
ドイツでは、弁護士・税理士・教師・図書館員・医師・研究員等の人々が仕事をしながら、専門知識を生かして
議員活動をしている。 ケルン市の場合、議会は平日の午後〜夜に開かれ、議員の勤務先は勤務時間中の
議会活動を認めなくてはいけない。
またドイツでは、選挙で選ばれた議員のほかに、党が一般人を特定の委員会委員(専門委員)に指名することが
できる。今回、ケルン市文教委員会の専門委員をしていたジャーナリストと知り合ったが、議員同様、議決権を
持つ委員として市の文化事業企画や教育問題にかかわってきたそうだ。
専門知識を持った人々が、自分の仕事を続けながら議員として活動できる、そういう社会システムが確立
しているドイツをうらやましいと思った。
ドイツ・オーストリアの選挙と日本の選挙の1番大きな違いは、その静けさである。
選挙前のウィーンの町は、普段とほとんど変わらない静けさ。ウィーンの音大の取材に来ていた日本の
テレビ局のクルーが、私から聞くまで選挙があることすら知らなかった。
極右・自由党のハイダー党首(投票日の数日前に元ナチの集会に出席、「みなさんのようにまともな人々」と
挨拶したことが報道され、議席数を減らした)と社会民主党のフラニツキ首相の演説を聞いた。
ハイダー党首はホーフブルク宮殿の広間で派手な最終演説を、フラニツキ首相は党本部前の広場で最終演説。
夕方6時から1時間、雪の積もった広場で子供からお年寄りまで約600人が立ったまま熱心に演説に耳を傾けた。
投票率は80%という高さ、組閣は選挙の2〜3ヵ月後。今の閣僚が暫定的に仕事を行ない、じっくり時間をかけて
閣僚を決める。
なお、今回のドイツ・オーストリア視察はすべて私費、議員になる前からの仕事で訪問した。
編集後記
「区議会便り」の発行にだいぶお金がかかっているのではないか(希望者には、区外の住民にも無料で発送)と
ご心配をいただいたが、議員報酬の他に毎月、政務調査費(議員としての活動に使うお金)を12万円
いただいているので大丈夫。
みなさんからのお便りは、賛同・激励95%、厳しいご意見・ご忠告5%。厳しいご意見・辛口批評を歓迎する。
私が議員として成長していくためにどうしたらいいかを、毎日考えている。
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若林ひとみのご友人にお教えいただき、議員時代のホームページの記録を、完全ではありませんが
見ることができるようになりました。本人が掲載していた文章を随時、ご紹介してまいります。
『地方分権』(ぎょうせい刊) 1999年8月号より
私が議員になった理由
『 「オレたちゃ、選挙なんかやらないよ」4年半まえ、この言葉を聞いた時のショックを私は今も忘れない。
当時、私は文京区の豪華庁舎と大型公会堂建設の見直しを求めて住民運動を行っていた。
統一地方選挙まで半年を切ったある日、「仲間から候補者を出さないのですか?」と問うた私に、
リーダー格の男性が答えて言ったのが、この言葉である。
9000名近くの署名を集めて区長に届けても、「建設は議会の議決を経ている」のひとことで片付けられる。
見直しを求める請願の提出では‘市民派’の区議すら紹介議員にはなってくれない。
委員会の傍聴に行けば、保守派区議に「区政を混乱させようとする人々がいる。」と言われる始末。
いくらビラを配ったとて、何度住民集会を開いたとて、住民の代表機関である議会に仲間を送る努力をせずし
ただ運動を続けても、たんなる自己満足にすぎないのではないか?
迷いに迷った末に私は住民運動グループとは縁を切るつもりで、告示日の10日ほど前に1人で立候補することを
決意した。仕事を抱えていたので、選挙ポスターと選挙公報、選挙はがきをつくるのがやっと。
支援組織もなく、使ったお金は7万5000円。9位(定数38)で当選という結果に自分が1番驚いた。
その後4年間無所属1人会派を通して、非力ながらも新庁舎の業務委託費25%削減、無言、異議なしの
教育委員会の活性化にわずかながら成功、議員の海外視察中止等の成果を得た。
前期も現在も個人後援会、事務所は作っていない。候補者個人に投票する現行の選挙制度を変えない限り、
日本の政治は変わらないというのが私が個人後援会等を否定する理由である。
その代わり、定例会ごとにA4サイズで6ページの区議会便りを発行してきた。
内容はかなり硬派だが、読者は毎回増えていった。
今回の選挙費用は6万円。前回同様、選挙運動はなにもせず、新人に100票まわしてそれでも3位で再選された。 』