「 若林ひとみの文京区議会便り 号外 1998年 新春 


    ( いつもは抜粋・要約してお届けしている「若林ひとみの文京区議会便り」、
          今回の号外は原文のままお読み下さい。
       区議会便りに続いて、議員時代のホームページからの文章を掲載  )



 皆様、健やかに良いお年を迎えられたことと思います。
 私は昨年暮れ、地方議会事情の調査にドイツに出かけ、大晦日に帰国しました。
 ここに簡単なご報告をお送りして、新年のご挨拶に代えさせていただきます。

  ポツダム(旧東ドイツ)では、壁が崩れた後に、かつての反体制の市民運動家を中心に旧東独各地で
 作られた新政党90年連合の人と会うことができました。
  ポツダム会談が行なわれたツェチーリエン邸を見たくて、旧東ドイツ時代に2度訪れたことのあるポツダムは
 駅前の様子が一変し、自分は正しい駅に降りたのだろうか、と心配になったほどです。
 ポツダムにはナチ時代にはゲシュタポの、ソ連軍進駐後はKGBの、その後は旧東独秘密警察の監獄があり、
 この建物は、90年連合の働きかけにより、ポツダム市が記念館として残すことにしました。
 町の中心部に、一般の人にその存在を知られることなく(外側は普通の建物なのです)、約300室もの独房が
 ついこの間まであったということが信じられませんでした。
 町の中にあるこの監獄には、食事時には近隣の民家やレストランの料理の匂いが流れ込み、囚人には
 それが責め苦だったといいます。
 この50年に幾多の人が拷問を受け、命を落としていったであろう監獄内を案内してもらいながら、
 ドイツの民主政治は、こうして人々が命をかけて闘い、築き上げてきたものなのだと、しみじみ思いました。
 
  さて、90年連合は、1部が緑の党と合体し、90年連合・緑の党というさらに新しい党を作り、
 国会にも議席を得、活動していますが、国会進出に関心のない人たちは緑の党とは一緒にならずに、
 地域政党としてのみ活動してきました。
 しかし、緑の党にも地方議員はおり、今、今年の秋に行なわれる選挙を前に、地域政党としても緑の党と
 組むかどうか、盛んに議論がなされています。
 私も、「地域政党とは何か」を今、考えているところですので、今後も成り行きに注目したいと思います。

  新進党の解散についてはドイツでも報道されていましたが、お粗末なドタバタ劇は、報道されることが
 かえって恥ずかしくなりました。
  何年か前に来日したチェコのハベル大統領は講演の中で、ビロード革命後、チェコでは旧体制時代の
 政治家がいなくなったため、政治の素人がいきなり中央政界で仕事をせざるを得なくなった状況について、
 「チェコの知識人には、政治の素人であっても政治に参加する義務がある」と言っていました。
 自分たちで新しい国を作っていくのだ、という気概と責任と誇りに満ちたこの言葉に、私は感動しました。
 “チェコ”を“日本”に置き換え、私は、この言葉を日本の知識人に贈りたいと思います。
  今、みんなで日本の政治を変える努力をしなくては、日本は未来永劫“世界の笑いもの”となってしまう、と
 帰りの飛行機の中で思いました。
  この夏の参院選には、1人でも多くの心ある人々が自分の義務を自覚し、立候補してくれることを
 願ってやみません。

  2月26日の午後(たぶん4時頃)、6回目の一般質問を行ないます。時間については、
 直前に議会事務局に(電話で)ご確認下さい。

  年賀状を下さったみなさん、どうもありがとうございました。
 昨年もそうでしたが、みなさんに個別にお礼状を出している時間的余裕がなく、申し訳ございません。

      1998年がみなさんにとって、また日本の政治にとって、豊かな年となりますよう
                                                   若林ひとみ    」
 
 
               
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若林ひとみの、世にも不思議な議員の世界ー@ (ハートネット 1997年12月1日)

               
    私が議員になった理由


 はじめまして東京都文京区で議員をしている若林ひとみです。
 ところで皆さんは、政治に関心がおありですか。あまりピンとこないという方も、私たちから毎月徴収されている
 税金が、どこでどのように使われているかを知ったら、そんな悠長な気持ちにはなれないと思います。
  ひょんなことから政治に関わることになった私が、政治の現場がどのぐらいいい加減か、
 “世にも不思議な実態”を皆さんに知ってほしくてこの連載を始めることにしました。
  
  話は7年前にさかのぼります。
 当時、私はドイツ語の通訳や翻訳をしていたのですが、物価の安い、生活環境の快適なドイツに移住を
 考えていました。でもその計画が具体化するにつれ、フッと迷いがでてきてしまったのです。
 国費で留学させてもらった私が、暮らしにくいという理由で日本を見捨ててよいのだろうか、
 まず、何か恩返しをするべきではないだろうか、と。
  そんな時に目についたのが、区が募集していた区政モニターでした。しかしこれは1年やってみて、
 「区民の意見を聞いています」というパフォーマンスにすぎないとわかりました。
  では一体、自分は何を、どうすればいいのだろうと思いあぐねていたところ、文京区の豪華庁舎建設が
 問題になっていることを知ったんです。そして住民運動の輪に加わり、工事見直しを求めて動きだしました。
  その活動の中で、生まれて初めて文京区議会を傍聴したのですが、その時の驚きといったら!!
 私たちの暮らしをよくするための議会、議員のはずなのに、たとえば庁舎建設の問題に関してもチェックが
 まるでなされていない。おまけに居眠り、やる気のなさ、木で鼻をくくったような答弁等、
 私たちの税金はこんな議員に報酬として支払われ、こんな議会で物事が決められていたのかと愕然としたのです。
  
  しかし、その後の住民監査請求(なんと文京区始まって以来だったそうです)や情報公開請求を行なう中で、
 本気で動けば区政が変わることも実感しました。ただし、住民運動にはお金も時間もかかる。
 これでは生活が成り立たない。思い悩む中でギリギリの決断を迫られた結果が、立候補という道だったのです。
  届出方法もわからないズブの素人が、公選はがきと選挙公報、ポスターだけで、もちろんどこの支援組織もなく
 選挙に出たわけですから、周りは皆驚き、何よりも私自身が不安のかたまりだったような気がします。
 でも、このままの政治ではいけないと思った方が予想以上に多く、たくさんの励ましのなか、お陰様で
 議員に当選することができました。

  私は“議員”になりたかったわけではありません。ただ、知ってしまった文京区の現状や問題を、
 今さら知らんぷりはできなかったんです。
  でも、世の中には“議員”の座にしがみついている人がゴマンといます。 何故か?
 議員には様々な優遇策がとられているからです。
 たとえば、海外視察という名の豪華観光旅行。95年の東京都議会の視察は、15日間の旅行日程中、   
 公務はたった3〜4日、それもローマ市役所に1時間滞在、というようなお粗末な内容です。
 それで1人当たりの予算が166万円。 私の試算では、日本全国の97年度の海外視察費総額は約30億円
 でした。他にも、高額な議長手当てや交際費などに私たちの税金は浪費されています。
 黙って見過ごすわけにはいきません。
  先程の視察旅行ですが、都議会に関しては私が裁判を起こしましたので、今年度は視察を自粛しました。
 これで約6000万円もの税金が節約できたことになります。

  そして、私たちが生活する町。その町の大切な問題が、暮らしをよくするという観点からではなく、エゴや見栄や
 個人的な利益やつじつま合わせのために決められています。周りを見回せば、おかしなことがたくさんあります。
 どうぞ、気づいた人から行動を起こしてほしいのです。
 わからないことがあれば、ご質問も受け付けていますよ。

    ぜひ1度、自分が住んでる町の議会を傍聴してみて下さい。
       あまりのひどさに愕然としますよ。

    動けば必ず、変わります。
       変だなと思うことがあったら、まずは役所に電話することから始めませんか。    
 」

              
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