ベーからの手紙      

No 123.MAY.10. 2006.


元気ですか?
 
 青葉通りのケヤキの若い緑がきれいになりました。
 毎朝お店へ来る時、このケヤキ並木を車で通ります。
 お花見の季節は桜の木の陰でひっそりしていた
 西公園のカエデは、ぐんぐん腕を伸ばしてきています。
 いい季節ですね。


5月の3日間のお休み、うちの家族は北へ行ってきました。
ママが小学生、ママのお姉さんが中学生の時に3年間を過ごした青森市。
八甲田山に岩木山、スキーに山菜採り、十和田湖に奥入瀬渓流、
ねぶた祭に地吹雪。
暮らしていたのは、土を深く掘ると不思議な土器のかけらが出てきたらしい
三内という場所でした。

4月。お姉さんの中学時代の担任の男の先生から手紙が届きました。
 「 何年か前、東京の板橋区にねぶたを呼ぼうという話が出た時、
  ひとみさんと、別な私の教え子が中心になって動いたのです。
  そして東京で私も一緒にねぶたを見て、ひとみさんと語り合いながら
  夜の街を歩きました。
  なぜあの時写真を撮っておかなかったのか、悔やまれます。
   3年7組は団結が強く、他のクラスからうらやましがられたクラスでした。
  しかし卒業が近づいてきてクラスが荒れ、生徒達がバラバラに
  なってしまった時、ひとみさんがみんなの前に立ちました。
  自分をさらけ出してクラスの仲間に語りかける彼女の言葉を
  みんなはシンとして聞きました。
  そして、またクラスは1つにまとまりました。
   卒業式。仙台の高校の入試と重なってしまったひとみさんだけが
  欠席しました。
  次の日、ひとみさんは卒業証書を受け取りに学校へやって来ました。
  1人きりの卒業式、のはずでした。
  しかし驚いたことに、私が声をかけたわけでもないのに、7組全員が
  学校へ集まってきたのです。
  盛大な卒業式が、もう1度行われました。」

青森へ行きたい。 青森へ行こう。
5月のお休み、お姉さんのおもかげを追って、家族みんなで思い出の土地を
たどることにしました。

5月4日。みんなを出迎えてくれたのは、担任の先生と7組の同級生の人達。
 「彼女はマドンナみたいな人だった。なんでもできるのに、とても細やかな
 心づかいをしてくれた。私の娘に、自分が訳した絵本を送ってくれた。」
 「成績はいつも(学年で)1番か2番。でもすごく気さくで、よく勉強を
 教えてもらった。」 「そうそう、数学とかね。」
 「後ろの席からツンツンと合図すると、テストの答案をスッとずらして
  見せてくれたもんだった。」
 「ひとみさんが生徒会の役員に立候補した時、立会い演説会の日に
 彼女は盲腸で入院。私が代理で演説をした。
 当選したからよかったけれど。」
 「若林さんは憧れの存在。とても我々が声をかけられる人ではなかった。」

なんていうこと。「私は孤独だ。」と日記に書いていた中学時代のお姉さん。
それは、お姉さんの勘違いだったんですね。
自分で校庭を整備し、自分のお給料でゴールポストを買って中学校に
サッカー部を作ったという担任の先生。
先生が持ってきた卒業アルバムの、7組のクラス写真。
 「あの服装は校長への反発心。闘わねばだめさ。ワハハ!」と豪快に笑う、
白いシャツ姿の先生が真ん中にいます。

 「ところで」 お姉さんの同級生の1人がママに聞きました。
 「今日のねぶたは、見ましたか?」  「え!?」
 「あれ? 夕方まで繁華街をねぶたが練り歩いていたんですよ。」
 「ええ!? 知らずにホテルで休んでました・・・。」
 「じゃ、明日の夜、見ていくといいですよ。今夜はやらないけど、
  明日は夜のねぶたを見られるから。」
 「・・・明日の朝、仙台へ帰るんです。」
長距離ドライブの疲れと、車の中での寝泊りでヨハンは不機嫌、
珍しく食事を残しましたが、とても楽しい3日間でした。

ママのお姉さんは、学生の時から亡くなる直前まで、毎年のようにドイツへ
行っていたそうです。
お店のパソコンに、ドイツの家族からのメールが届くようになりました。
お姉さんが大学生の時にホームスティしてから、最後に去年の9月に
訪れるまで、ずっとお付き合いが続いていた人達です。
 「ヒトミは、私達にとって家族のようだった。
  去年の9月には、この家でとてもたくさん話をしたのに。
  クリスマスには一緒に教会に行ってミサを聞いたものよ。
  そうそう、クリスマス市(いち)で飛行機に乗ったサンタ・クロースを
  見つけて、家族みんなで大喜びしたの。
  ヒトミのコレクションに素敵なものが増えたって。
  ヒトミの最後の本(「名作に描かれたクリスマス」)を送ってくれて
  ありがとう。とても美しい本ね。
  ああ、でも、とても残念。私達は日本語を読むことができない。
  いつかドイツに来ることがあったら、必ずうちに来てね。」

ママのお姉さんが遺してくれた、たくさんの人とのつながり。
高校の同級生や、東京の大学の同窓生の方が店を訪ねてきて、
ヨハンに声をかけてくれます。 「あなたがヨハン君ね?」
ヨハンは、いつもと変わらずに眠っています。
   
                             今日はここまで、またね。
                          
                                     Beethoven

本人が青森の先生に送ったドイツでの写真

下から2段目・向かって左から4番目がHitomi

2代目ベートーベンは湖のさざ波も恐がりました

せんべいに群がる青森港のカモメ達
No.122 No.124