ベーからの手紙      

No.142  2009年8月5日

 元気ですか?
 今年はとにかく蒸し暑い日が続くと思っていたら、
 朝早く、突然ヨハンが僕のところへやって来ました。
 おいおい、どうしたんだい? びっくりするな。
 ちょっと早過ぎたんじゃないのか?
 ヨハンは「ふ〜んっ!」と大きなため息をひとつ。
 そして、白い雲の上に寝そべると、目を閉じて眠って
          しまいました。


ヨハンは10才と5ヶ月、セント・バーナードとしては文句のない寿命です。
でも、僕が14才8ヶ月まで長生きをしたものだから、うちの家族は、
ヨハンも当然まだまだ元気でいる、と思いこんでいたようです。
そしてその通り、ヨハンは本当に元気でした。
天国へ来るほんの数日前までは。

3月の末、イタリアに旅立つあゆちゃんが、「行ってくるね! バイバイ!」と
ヨハンに声をかけた時、ヨハンは、いつもよりもはしゃいでいるあゆちゃんを
ちょっと怪訝そうに見つめていました。
どうせ夜には帰ってくるんでしょ、という態度で、面倒くさそうに寝そべった
ままでした。
あゆちゃんは、帰国した日には大喜びで立ち上がって出迎えてくれるに
違いないヨハンと会うのを楽しみに、重い荷物を抱えて出発していきました。

7月25日、土曜日の夕方。
僕の親友だった阿部お兄ちゃんと散歩をするのがうれしくて、ヨハンは
とてもかるい足取りで交差点を渡りました。
 「お? この夏はかるく越せそうだな。ずいぶん元気じゃないか。」
この日のヨハンは、まるで春先に歩いているようなかろやかさでした。

7月26日、日曜日。
とにかく蒸し暑い日でした。扇風機の風も生ぬるい1日でした。
でも、ヨハンはこれまでエアコンの冷たい空気なしで夏を元気に
乗り切ってきたから、きっと、大丈夫だろう、と・・・。

週が明けてから、やっぱり蒸し暑い日が続きました。
ヨハンは、ふらつきながらも自分の足で歩き、こまめに水を飲んで
過ごしました。
店にいる時は店の仕事が優先、と体で覚えたヨハンは、外に出たくなると
2階からじっと店を見下ろし、家族が気づいてくれるのを待ちます。
この時も声を出すこともなく、遠慮がちに、外へ行きたいと目で合図を
送っていました。息が苦しそうなのも、黙って耐えていました。
病院へ行った方がいいのか、どうしようか。
でも、ちゃんと歩くし、元気な様子に戻ることもある。
食欲もいつも通りだから、この蒸し暑さが通り過ぎれば、きっと、
大丈夫だろう、と・・・。

ぐったりした様子で横になるヨハンの鼻先に細かくみじん切りにした焼き豚を
持っていくと、ヨハンはガバッと上半身を起こし、ガツガツとむさぼるように
食べました。
訓練所から、この夏にお中元でいただいた焼き豚です。
これが、ヨハンが最後に口にした食事になりました。

それにしても、ヨハンはなんて生真面目な男なんだろう。
店の2階も、家での自分の部屋も、部屋の回りのコンクリートも汚しちゃ
いけない。そう決めてるヨハンは、最期の時が近づいてきてもうふらふら
なのに、自分の足で立ち上がり、犬舎のコンクリートの1番端まで歩き、
雨の中で遠慮がちにおしっこをしていたんです。
寝たままで自分の体を汚すことも一切なく、最後まで、きれいな体のままの
ヨハンでした。

7月30日の明け方。
容態が急変。3人で苦しい息のヨハンの体を抱え上げて車へ運びます。
ひろちゃんがぴったり寄り添い、ヨハンに声をかけ続けます。
救急病院がそこに見えた時、ヨハンは、品よくちょっとだけ、足をけいれん
させました。
 「ヨハン? ・・・ヨハン!」 ママが叫ぶと、ひろちゃんは怒りました。
 「なに泣いてんだよ、ばか! 死なないよ! ヨハン、ほら、病院だ。」
ひろちゃんは、涙を流さず、じっとしていました。

8年前、ヨハンがうちの家族になることが決まった日、訓練所の水色の
タオルケットを車の中に敷きました。
そのタオルケットにくるまれてヨハンは家族に別れを告げ、雲の上の
僕のところへのんびりとやって来ました。
 「ちえっ、焼き豚のほかにロースハムもあったんだよ。
  食べそこなっちゃった。」

さてさて、僕はこれから、ヨハンと一緒の日々が始まります。
  
                            今日はここまで、またね。 
                                 Beethoven

「あのさ、ヨハン」 ふむふむ。

「だからさ、どう思う?」 そうだねぇ。

輝くように美しい男前でした。

広瀬川の河畔へ家族で散歩しました。

こんな風に若々しい時もありました。
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