ベーからの手紙      

No 125.SEP.4.2006.


 
 元気ですか?
 
 朝と夕方は、涼しい風が吹くようになってきましたね。
 居眠りをするヨハンの寝顔は、暑い夏よりも
 すやすやと気持ち良さそうです。


お店のショーケースには、本が何冊も飾ってあります。
ママのお姉さんが翻訳した、ドイツやオーストリア・スイスの子供のための
本です。
「アルプスの少女ハイジ」、グリム童話、少年探偵団のお話に、今年も
小学校2年生の国語の教科書に載っている「あめの日のおさんぽ」というお話。
あゆちゃんも小さい時にお姉さんが訳した本を読んで、小学校の教科書で
勉強しました。
 
お姉さんが翻訳家として最初に出版したのは、不思議な卵の物語。
もともとの本の題名は、” What is this egg ? ”
そのまま日本語にすると、「この卵はなんだろう?」
これをお姉さんは、絵本に登場するいろんな動物達の「はてな?」の気持ちが
思い浮かぶような題名にしたい、と思ったそうです。
        「なんだこりゃたまご」
文字を目にした時のおもしろさ。
卵がピタッと手の平に収まるような感覚。
   (ジェラルド・ローズ作 ほるぷ出版 2005年8月に復刊
    若木・おさなぎ ひとみ のペンネームで訳 )

 「ことばは生きているの。 ことばは、作家の命よ。」
仕事をしている時のお姉さんの口ぐせでした。 
 「翻訳することが決まったら、その作品だけじゃなくて、私はその人が
  書いた本を全部原作で読むの。そして作家の人生や考え方についても
  調べる。  作家は、ことばの1つ1つに命を注ぐ。
  だから翻訳者は、その人になり切ってことばを日本語に置き換えて
  いかなければ。」
 
2002年にガンが見つかり、あと数年の命とわかった時、お姉さんは
自分と同じように作品と向き合い、自分の跡を継いでくれる児童文学の
翻訳者をなんとか見つけ出したい、と願ったそうです。
そして2004年の夏、放射線治療で髪の毛が抜け落ちた頭をスカーフでおおい、
「ドイツの児童文学  どう選び、どう訳すか」という公開講座を開きました。
 「原作をいくつかに分けて他の人に下訳させて出版する翻訳家もいるけど、
  児童文学の翻訳には、大人向けの本よりも、もっと日本語の繊細さが
  必要です。」
お姉さんは1年間に200冊ぐらいのドイツ語の本を読み、どの本を
訳したいか、その国から自分で探してきたそうです。
この厳しい先生に、1人の若い受講生が声をかけてきました。
 「児童文学の翻訳家になりたいのです。」
 「あなたが本気で目指すのなら、私が指導しましょう。」
ガンの治療を続けながらお姉さんが課題を出し、彼女が訳して提出する、
先生が赤ペンで添削して送り返す。そんな日々が続いたそうです。
 お姉さんが空へ旅立った日から4ヵ月後の今年の3月、
出版されたばかりの1冊の本がお店に届きました。
 「若林先生に真っ先に読んでいただきたかった。」
児童文学翻訳家としての、彼女のデビュー作です。
 ( 「ラクリッツ探偵団 イエロー・ドラゴンのなぞ」 
   ユリアン・プレス作  荒川 みひ訳  講談社 )

今年の2月、24年前にお姉さんが訳した本が、ドイツの映画が日本で
上映されるのに合わせて新しく出版されました。
ナチスの時代に本当にあった出来事、ナチスに反対してギロチンで
処刑された、ドイツ人大学生の悲しいお話です。
「ことばは作家の命」を肝に命じていたお姉さんは、作品に登場するドイツの
いろんな土地を訪れ、たくさんの資料を集めたそうです。
そしてドイツ人の原作者と何度も会い、打ち合わせを重ねました。
時代背景が日本の読者にもわかりやすいように、作者と相談しながら
説明を書き加えていったのです。
この作品、「ゾフィー21歳」
 (ヘルマン・フィンケ著  原題は「ゾフィー・ショルの短い生涯)は、
お姉さんの生き方にも影響を与えた、お姉さんにとって大きな意味を持つ
本でした。
日本での映画の上映に間に合うように大急ぎで新しく印刷された本は、
見た目は美しい出来上がりでした。
でもページを開いてみると、あまりにも、あまりにもたくさんの、
「大切な生きていることば」の間違い。
ひらがなも、漢字も、主人公の名前までも間違っています。

ドイツの原作者、ヘルマン・フィンケさんから届いたメールです。
 「お姉さんとの仕事は、私にとって大切な思い出だ。
  いろんな人に言われたものだよ。
  お姉さんは、私の文章を本当に美しい日本語に置き換えてくれたって。」
ママは、この新しい本を世の中に送り出すのをやめることに決めました。
きっとお姉さんも、天国でそれを望んでいるはずです。

お姉さんが心をこめて日本のことばに訳した、たくさんの本。
ことばと心は、いつまでも生き続けていきます。
僕が、家族の心の中でこうやって生きているのと同じように。


 (2006年2月6日 草風館発行の新版「ゾフィー21歳」は、
  原作者のヘルマン・フィンケ氏と協議の上、今後増刷を行なわず、
  絶版とすることになりました。
  同じく草風館からの1982年・初版発行時も大きなトラブルが発生、
  フィンケ氏と訳者の若林ひとみが発行からまもなく絶版とし、
  4年後の1986年、講談社文庫から同じ作品を
     ” 白バラが紅く散るとき  ヒトラーに抗したゾフィー21歳 ”
        のタイトルで出版。
  若林ひとみは、講談社版を「ゾフィー・・」の自身の作品としていました。
  これらのことを知ったのは、残念ながら今回の新版発行後でした。)
                           
                      今日はここまで、またね。

                               Beethoven
「苦節8年下積み3年 長年夢見た処女出版」
表紙見開きの本人の記し書き
「改訂版とはいえ、やはりうれしい。前よりは
はるかに読みやすい本になった」本人・記
そろそろ老齢に差しかかってきたヨハン
おっとりぶりに磨きがかかります
No.124 No.126