No 121.JAN.23. 2006.
元気ですか?
この冬は、本当に寒いですね。
強い風、ビリビリと冷たい空気、積もる雪、凍る足元。
セント・バーナード犬のヨハンも、さすがに体を
丸めています。
ママのお姉さんが空へ旅立ってから、2ヶ月が経ちます。
突然の知らせに驚いたという方達から、手紙やファックス、メールが
お店にたくさん届きました。
高校時代の友達、大学でドイツ語を一緒に勉強した仲間達、作品の
ファンですという方達、お姉さんの仕事を応援してくれていた方達・・。
今日は、お目にかかることができないみなさんに、
お姉さんの思い出を話させて下さい。
5年前、病気で旅立ったおばあちゃん(ママのお母さん)の遺品を
整理していたママは、台所の割烹着のポケットのふくらみに気づきました。
中には、いくつかの丸めたティッシュペーパー。
おばあちゃんは、1度使ったティッシュをすぐに捨てないでポケットに入れ、
再利用するくせがありました。(ママは、いやがっていました。)
去年の11月、お姉さんの突然の旅立ちの後、病室で荷物の整理を
始めたママは、椅子の背にかけてあったお姉さんの割烹着に手を
伸ばしました。顔を洗う時に使っていたのかな?
ポケットに何気なく手を入れると・・、丸めたティッシュが3つ、4つ。
ママは、泣き笑いをしそうになったそうです。
「もう! こんなところまでそっくりなんだから。」
おととし出版されたお姉さんの本、「クリスマスの文化史」(白水社)を
お持ちの方は、最初のページ、「はじめに」を開けて下さい。
「・・・小さな幼稚園に通っていました。カマボコ型をした建物・・。
・・私がもらったカードは全部で112枚。今でも私の宝物です。」
その幼稚園は、元々はとても小さな建物だったそうです。
「親の会」の会長をしていたおばあちゃんが子供達のためにと駆け回り、
戦後、アメリカ軍が使っていたカマボコ型の兵舎を譲ってもらえることに
なったんです。
日曜学校のごほうびのきれいなカード。
幼かったママには、他の人が持っていない自慢の1枚がありました。
それは、たくさんの動物の絵が描かれているカードでした。
ある日、小学生の姉と幼い妹が向き合って立ちました。
「ねぇ、これ2枚あげるから、その動物のカードと交換してくれない?」
「いや。 だって、これ、1枚しかないんだもん。」
「どうしても、だめ?」 「やだ。」
お姉さんの112枚の宝物の中には、動物柄の希少カードは残念ながら
含まれていません。
お姉さんは、東京の大学でドイツ語を勉強しました。
エーリッヒ・ケストナー(「エーミールと探偵たち」「点子ちゃんとアントン」
などの作者)について研究をし、ケストナー氏の未亡人に会いに
行ったこともありました。
でも、どうして大学では、英語じゃなくてドイツ語を選んだのかな?
「・・なぜドイツ語など学ぼうと思ったのか、と自分の選択を悔やんで
いました。」(「クリスマスの文化史」)
おやおや。 お姉さんは、自分がドイツ語を選んだ大切な目的を、
ホームシックで忘れかかっていたようですね。
留学できることが決まった大学生の時、うれしさのあまり、お姉さんは
妹に秘密を打ち明けずにはいられなかったのです。
「お父さんには、研究をしたいから留学させて下さい、と頭を下げたけど、
あんたには本当のことを伝えておくからね。
ふふっ・・、『 サウンド・オブ・ミュージック 』よ。
サウンド・オブ・ミュージックの舞台を、この目で見たいの。
マリアが結婚式を挙げた教会、トラップ大佐の家として使われた建物、
子供達が『ドレミの歌』を歌った街!」
ドイツでのホームシックから立ち直ったお姉さんは、自分がドイツ語を
選んだ目的を思い出し、見事に夢を果たしました。
「全部、行ってきたよ!」
ところで、どうして、「サウンド・オブ・ミュージック」なのかな?
中学校の3年間を、お姉さんは青森市で過ごしました。
この中学校で、お姉さんの成績はほとんどいつも学年で1番だったそうです。
クラブは、ブラスバンド部とテニス部のかけもち。
毎週日曜日はピアノのレッスンに通いました。
学級委員に生徒会役員。
なんでも見事にこなすお姉さんは、でも友達ができず、とても寂しかった
みたいです。
サウンド・オブ・ミュージックとの出会いは、青森市内の映画館でした。
「私は、とても孤独だ。その孤独をいやしてくれるのは、真っ暗な
映画館の中だけ。ここにいる時だけは、私は自由になれる。
素晴らしい映画に出会った。」
中学生の時のお姉さんの日記です。
ジュリー・アンドリュースのマリアに会うために、お姉さんは、1人で何度も
映画館に足を運びました。
将来のお姉さんの仕事になるヨーロッパやアメリカの児童文学との
出会いも、青森時代でした。
家の中には、おばあちゃんが図書館から借りてきてくれた本が、
いつも何冊もありました。
「メアリー・ポピンズ」 「たのしい川べ」 「クマのプーさん」・・・・・。
中学生の姉と小学生の妹は、夢のような外国のお話に心躍らせて
過ごしました。
そして時が流れて、ママの娘であるあゆちゃんも、同じ作品を
夢中になって読むようになりました。
去年の12月、お姉さんの住まいの引越のために、ママとあゆちゃんは
夜中の2時頃まで片づけを続けていました。
部屋いっぱい、足元から天井近くまで積み上げられている本と資料の
山の中に埋もれて、ママは次々とダンボールに整理をしていきました。
ふと、あゆちゃんが片づけをしているはずの隣の部屋からの話し声に
気づき、立ち上がりました。
あゆちゃんは、うれしそうな顔をしてテレビの画面に見入っていました。
「ママ、見て! 叔母さん、『アヴォンリーへの道』のビデオ、
全部持ってる。 『サウンド・オブ・ミュージック』もあるよ!」
引越の日。
マンションの小さなベランダには、最後まで、大きな陶器のカメが置いて
ありました。
カメの水の中では、メダカ達が元気に泳ぎ回っています。
「6月18日。 手術が終わって退院。 部屋に戻って来た。
メダカの子が何匹か生まれていた。 私も、がんばろう!」
お姉さんの髪の毛は、治療のために抜け落ち、ようやく少しずつ
伸びてきたところでした。
でも、長いまつ毛は、昔のまま。
大学時代のアルバイト先で、上司にこう言われたまつ毛です。
「若林さん、仕事中に『つけまつ毛』は、やめてね。」
長くて美しいまつ毛が、永遠に閉じられたまぶたをおおいました。
( ドイツ映画 「白バラの祈り ゾフィー・ショル 最期の日々」
1月28日から東京・シャンテシネで公開、 以後、全国ロードショー。
2月3日から8日まで、有楽町マリオン11Fの有楽町朝日ギャラリーで
「ゾフィー・ショルと白バラ展」が開催されます。
若林ひとみは、ミュンヘン大学に留学中にショル兄妹と白バラの
存在を知って衝撃を受け、ゾフィーの短い生涯を描いた本を
どうしても日本で出版したい、と著者に交渉し、ドイツ各地で自分で
膨大な資料を集め、たくさんの本を読んで研究し、翻訳をしました。 )
今日はここまで、またね。
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