白バラの心  No.6     ガン日記


  「白バラの心 No.4」の続き
  
  闘病中につけていた日記です。
  
  病室を見舞って下さった方々、
  
  手紙やファックスをお送り下さった方々、
  
  電話をかけて下さった方々、
  
  声をかけて下さった方々のお名前が記されています。

  写真は2002年9月、文京区議時代

  ガンを宣告された時期のものです。



   
   
2003.2.23(日)
  最後の点滴から3週間が過ぎた。まだ、ほんの少し足先にしびれを感じ、
  目許も黒ずんでいるが、副作用が体から徐々に抜けていっていることを感じる。

  テレビ朝日でガンの特集番組。 「ガンを甘くみてはいけない」

   2.27
  Gudrunから心配してTelがあった。(るすTelに) うれしかった。

   2.28
  13Fの食堂でIさんと一緒になる。Iさんの息子さん(25才)も白血病だったと話してくれた。
  (その時のつらさや人の対応についても)
  私の自宅にTelしようかとも思ったが、私からTelがあるまで待とうと思った、とのこと。
  本当にうれしかった。話しながら涙が出た。

   3.5
  診察。 9月30日と2月3日のCTを見る。   胸のしこりは、あまり小さくなっていない。
  わき下は9月30日に2cm近くあったのが小さく分割されていた。リンパ節は、はれていないとのこと。
  4月末にもう1度CTをやり、その結果を見てから手術をすることになるかもしれないそうだ。

        「ガンを甘くみてはいけない。」

   3.10
  2〜3ヶ月前、視力が急に落ちたのが、気がつくとまた元に戻っている。あれも薬のせいだったのか?

   3.11
  頭が少し黒っぽくなってきた。毛根が復活してきたのだ。うれしい。眉も、うっすらと黒くなってきた。
  目の周囲(まつ毛、上下)も黒っぽくなってきて短いまつげが生えてきた。

   3.20
  割合からして、1番早く毛根が復活してきたのが、まつ毛。次が眉毛。
  やはり、大事なところ(目)を守るためだろう。まつ毛と比べると頭髪の復活は遅い。
  男性も年とともに頭はうすくなっても、眉毛はフサフサしている理由がよくわかった。

  3月20日からレントゲン照射縮小。少し体が楽になる。
  3月28日から違う種類のレントゲンの照射。

   3.31    
  KからTel.、Aから聞いたとのこと。
  N部長がけやきの盆栽を届けてくれた。 Kさんから花束が届く。

  最後まで残っていた髪の毛。(注:髪の毛を1本、セロテープで添付)

   4.1    A から、るすTelにTel。
   
   4.2    (注:ファックスを添付)
  「若林さんへ   先日はTel ありがとうございました。Aには、昨年から治療しているようだけど、
     くわしくは聞いていないと答えました。心配してました。
     私も役には立てないかもしれないけれど、何かあったら連絡下さい。
     前向きに考えて治療を受けて下さい。       N より  」
   
   4.3
  レントゲン治療が終わった。2ヶ月、毎日の通院は長かった。
  ほとんどわからないくらい小さくなったように思うのだが・・・。

   4.5+4.6    Nさんが心配してTelをくれた。

  (日付けなし)  柔らかい毛が生えてきた。スベスベして赤ちゃんの頭のよう。
            控え室片付けに、のべ100時間。
   
  (日付けなし)  ドイツ

   7月    Fさんから、ほおづき市のお守り届く。

   7月〜8月  目の周囲が時々赤くなる。体が弱っている。
            固くなってた足の爪が、ほぼ治った。(左足の1本はまだだが)

   2003・8・15
  長い1年だった。いろいろなことを考えた1年だった。本当の味方は誰かもよくわかった1年だった。

   8.27(水)
  CTを行なう。9.4に今後のことが決まる。
  足の爪がほとんど元に戻った。あと少し、先の方が厚くなっているだけ。

   8.30
  BSの「清左ヱ門残日録」を見る。その中に、清左ヱ門を評し、「闘っているな」というセリフがあった。
  闘い続けている清左ヱ門を見て、問題から逃げていたある人物が自分も闘う決意をするのだ。
  闘い続ける人間が1人ぐらいいてもいいのだ、と思った。決してムダな闘いではない。
  見てくれている人が必ずいる、と。

   9・4  今後のこと決まらず。 来週、再検査。

   03.9.5
  50才になった。  神保町でKさんに会う。 その後、白水社でIさんと打ち合わせのはずが延期。

  つらい1年だった。 いろいろなことを考えた1年だった。 本当の味方がわかった1年だった。
  友のありがたさが身にしみた1年だった。 これで1年がすぎた。
  あと何回、誕生日を迎えられるだろうか。    ドイツからカードが届く。

   03.9.12
  1年前の今日のことを振り返る。 つらい1日だった。

   03.10.09
  国保料、月○万円が必要なことを忘れていた。このままだと、もたない。
  10月中に片付け、11月中に小説、12月はドイツ、1月になったら真剣に考えなくては。

  最近、体がやっと楽になってきた。放射線治療が終わって半年。
  体の回復にこれだけの時間がかかったということか。

   10.10

  今朝3時に寝て、6:30に目が覚め、7:00に起きる。今後の生活が気になって仕方がない。
  今できるだけのことをやっておこう。

   10.12
  0:30〜3:30 書き始める。 私にできること、やっておきたいことは、書くことしかない。
  景気づけに、とっておきのワインを開ける。
  
  8:00 なんの鳥かわからないが、ベランダで小鳥がかまびすしくさえずっていた。
  こんなところにも小鳥が来る、とうれしくなった。

   10.21
  10月28+29日に1泊入院で生検。 11月6日に結果が出る。
  家に戻る途中で、CC(注:シビックセンター)前でM議員、S議員に会う。
  「4年後、また議員に復帰してくれ。」 こんなことを言われるとは思わなかった。うれしかった。

  Tさんから見合いの話あり。
  夜、寝る前、布バッグの中から、なくしたと思っていたブローチが見つかる。
  今日はいい1日だった。 何かいいことがあるのかもしれない!
                                              (つづく