白バラの心 No.4    ガン日記
  

          病室のバッグに遺されていたノート 
       ” 白バラの心 No.2 ” の続きです。

  

            
              放射線治療を受け、かつらをかぶっていた頃
           スカーフやヘアバンドでもスタイルを工夫していました
 

 2002・11・18

  ドクター 「ずいぶん小さくなりましたね。どこにあるのかわからないくらい小さくなった。
         何センチと測れないくらい小さくなった。」
  うれしかった。

   11・23 (17:23)   
  マリアンネからTel (留守Tel)、うれしかった。

  Telしようと思ったところにマリアンネからTel。
  「クリスマスがだめなら、来年いつでもおいで。今日これから教会に行って、お祈りするね。」と
  言われた時には泣いてしまった。 うれしくて。
  「余計なことは考えずに、前向きに生きるのよ。」
  うれしかった、ありがとう。 私は負けない。

   11・25&12・3
  KH(注:病院 最期の聖路加病院とは別の医療機関)のツリーを飾る。

  池田理代子 →食事をする時間もなく〆切に追われていた。ごはんにお湯をかけてザーサイをのせて
     食べた。仕事量を減らし、自分が人生でやりたいと思っていたことを考え、声楽家をめざす。
     47才で音大入学。 今、52才でオペラ歌手。 衣装デザインも手がける。
  池田理代子ほど大きなことはできないが、私も人生でやりたいと思っていたことをやることにしよう。

   12・7
  今後のおおよその予定を聞く。  9・12のエコー、30mm わき下 3〜4ヶ
  3Fと18Fのツリーを手直しする。
  18Fである女性が、「どんどんきれいになっていく。前と雰囲気が全然違う。」と言ってくれた。
  3Fの待合室で50代半ばの女性に「髪がきれい。かつらですか?」と声をかけられる。
  「小さなガンが全体に無数にあるので取るに取れない。薬で手足がビリビリしびれている。」とのこと。
  この女性と比べれば、私は幸せだと思った。

   12・15
  2日前、右手が少しむくんでいた。 今夜、入浴中に左足先が少ししびれた。

   12・21〜25  長崎
  21日 夕方、平戸着。 町を歩き、三浦按針 終焉の地を見る。
  22日 8:30〜9:30 ザビエル教会のミサに出る。教会内は信者でいっぱい。
      10:00〜    ガイドのTさんと共に隠れキリシタンの里etcを見る。
                 弾圧を耐え抜いた人々の勇気にふれ、私も生きる勇気を得た。
  23日 昼ごろ〜20:00 ハウステンボス  カリヨンを見る。
  24日 長崎へ昼ごろ着  大浦教会、天主堂を見る。 出島へ。
      17:30〜 大浦教会のキャンドルサービス
      21:00〜 大浦天主堂のミサ 涙が止まらなかった。しかし、心は穏やかだった。

   12・25 
  14:00 KH 点滴  終了後、クリスマスツリーを片づける。

 2003・1・6  14:30
  KH W医師 両方の乳房に同時に触れながら、「どこにあるのかわからないくらい小さくなりましたね。
      これですかね。」と、右のしこりに触れる。 「1.5cm、1円玉より小さいですね。」
   
  1.抗がん剤終了後、すぐに手術する。私の場合は全摘、腕がやや不自由になる。
  2.抗がん剤終了後、すぐに放射線治療を行なう。

  2は今まで主に高齢者にすすめてきたが、最近は若い人にもすすめているとのこと。
  今のところ、まだ30例しかない。新しい術前化学療法も日本では、まだ主流ではない。約3割。
 
  私 「今後の患者さんのためにも、新しい治療法でがんばってみたいと思います。
     正直申し上げて、こんなに薬がきくとは思っていませんでした。」
  Dr.W 「われわれも思っていませんでした。」

  うれしい話。 今年は、よい年にな(す)るゾ!

   1・14(火)
  連休明けで混んでいた。診察、11:00から3時間待っている人もいる。
  注射、150人(いつもの1.5倍) 
  いつも通り14:00に行って、針をさしたのが16:00、終わったのが17:30過ぎ。

   1・20(月)
  先週の混雑がウソのように空いていた。

   1・27(月)
  ガラ空き・・数人しかいなかった。 ほとんど私の貸し切り状態。
  注射、16:00には終わっていた。→月は空いてる。火は1番混んでいる。

   2・3(月) 節分
  タキソ-ルが終わった!(16:30)
  9:30からレントゲン 前は胸をはさんだだけで痛かったが、今回は痛くなかった。
  それだけ小さくなったということ。     11:00からスキャン
  今日で点滴、全14回終了。今まで平日の日中、こんなにのんびり何もしなくていい時間を過ごしたことが
  なかった。 心と体のいい休養になった。 私にとっては最高のリラックスタイム。
  毎回、注射が楽しみで、ガンが小さくなってからは、ますますそれが楽しみになった。

  看護師さんたちも明るく、さわやかで、彼女たちに会うのが楽しみだった。
  ストレスも多かろうにテキパキと仕事をこなし、彼女たちの姿は目にも心地よかった。
  みなさん、4ヵ月半の間、どうもありがとう!!

   2・10(月)
  12:00〜 放射線科  放射線治療の説明を受ける。これから4月の初めまで続く。
  後遺症への心配もあるが、全摘よりは、はるかによい。
  胸にレントゲン放射用の印をつける。エコーでは、脇下のガンがほとんどわからなかった。
  16:50までかかった。
  17:00 局長に一般質問辞退のTelをするが、いなかった。

   2・11
  
夜、TさんからTel。 Mさんが私のことをいろいろと聞いているらしい。
  「かつらをかぶっているようだ。 抗がん剤を飲んでいるのではないか 次の選挙に出ないらしい。」
  なんとイヤな人だろう。この人が病気で入院した時、私は聞き回ったりしなかったのに。

   2・12

  局長からTel 通院治療の件を話す。
  夜、シャンペンをあける。治療が半分終わったお祝いと、次の治療の幸運を祈って。

   2・14
  K課の係長にTelをすると、「先生、心配してたんですよ。でも、そのお声ならお元気そうですね。」
  うれしかった。 涙が出た。
  局長と議長に通院治療の話をする。

   2・15
 
 Chefinの夢。 私は雪のSchellenberg Marktを散歩、道には雪。17:00に出発する予定だったが、
  戻ってからChefinに「しばらく、ここにいるわ。」と言う。Chefinは「わかった」と言うと
  私の分も夕食の準備を始めた。串に刺したブタ肉とじゃがいもだった。
  
  このことを手紙に書いて郵便局から戻ると、マリアンネから手紙が届いていた。
  (注:Marktschellenbergは、30年間の親しいお付き合いがあった、本人が「ドイツの両親」と呼んだ
     フレーリヒご夫妻、「ドイツの姉」と呼んだマリアンネさんが住む町です。)

   
   2・17
 
 議長あて、欠席届を出す。  Sさんと話す。「パーマが失敗したのかと思っていた。」
  気づかって一声かけてくれる人、ふだん通りに接してくれる人、あからさまに顔をそむける人、
  いろいろ聞いて回る人、人の対応も様々だ。


   
2・19
  K課長、「お風邪ですか。もう大丈夫ですか?」と聞いてくれる。 うれしい。
  Sさん、「口紅をつけると元気に見える。」

   
2・20
  I議員 「お大事になさって下さい。」
  I係長 エレベーターの中で 「具合悪いの? お大事に。」

  
 2・21
  治療のあと、体がだるい。
                                            
 (つづく)