白バラの心 No.2    ガン日記   


 息を引き取った病室のバッグに遺されていた
 2冊の大学ノート。
 
 忙しい毎日の中で、なぐり書きのように鉛筆で
 書きとめられた、誰にも見せなかった心。
 ななめに走り書き、消しゴムを使わずに鉛筆で
 黒く塗りつぶす、矢印であちこち書き足す、
 抜け落ちた髪の毛をていねいにテープで
 貼ってあるページも・・。
 
 2002年8月15日、ガン検診を受診した日から
 ノートは始まります。
 抗がん剤の投与を受けた日や様々な数値も
 細かく記されています。

 (個人的な部分は省略してある文章があります)




 2002・8・15

 今日午後、婦人科検診に行った。右乳房のしこりが気になり、9月末の予定を今日に
 してもらった。 女性の医師は、右乳房に軽く触れるなり「去年は検診に来なかったのですか?」
 と聞いた。そしてすぐに「超音波しましょう、超音波。」
 医師のこの言動に、私は事態がただならぬものであることを感じた。
 気になり出したのは7月下旬のことだった。暑くて寝苦しい夜、うつぶせになったら右胸が
 痛かった。しかし、そう深刻には考えなかった。
 昨年秋の検診時・・・。

 帰り道、様々な思いが頭をよぎった。
 なぜ、もっと早く気がつかなかったのか。
 なぜ、昨年の先生は、もっとちゃんと調べてくれなかったのか。
 昨年の先生が注意をしてくれていたら、もっと気をつけたのに・・。
 自分の体調を気にするゆとりもなく区民のために仕事をしてきて、でも結局何が残ったのだろう?
 自分の命を縮めただけではないのか。

     8・16
 NHKきょうの健康に乳がんのことが出ていたので、買って読む。
 午後、Nさんが来てくれた。 夕方はTさん他3人、保母連代表と会って話をして気がまぎれたが、
 夜、1人で控え室(注:区議会議員控え室)で仕事をしていると突然涙が出てきた。
 もう、22Fには誰もいなかった。 声を出して泣いた。

 まさか、自分が乳がんになろうとは思わなかった。
 どのくらい悪性か、どこまで転移しているか、あと何年生きられるのか・・。
 本に書きたかった事柄が走馬灯のように目の前を流れていった。
 クリスマスの本、一女(注:第一女子高)の思い出etc。
 夜、YさんにTelして、どこの病院にしたらよいかを相談した。

     8・17(土)
 今後に備えて家の片付けをするつもりが、1日ぼーっとして過ごす。
 どんな状態であれ、今後の時間は、まず自分がやりたいことのために使おうと思った。
 自分にやれることは、やっておきたい。

     8・19
 モーツァルトもシューベルトも、短命の天才は多い。
 私は幸せだった。子どもの頃あこがれたドイツ、オーストリア、アルプス・・。
 
     8・20
 国立がんセンターに行く。 9・2に検査の予約。
 「ガンの可能性が高い。よければ、ここで手術を。」

     8・21
 調子がいいと思ったり、やはり痛かったり、首筋の痛みが気になったり・・。
 ただ信じていたい、負けないと。 本を書き上げるまでは。

     8・25(日)
 夕方、控え室の片付けをする。右胸、右首が痛む。胸がジーンと痛くなるたびに涙が出た。
 泣きながら、滝廉太郎と手塚治虫のことを思った。ことに滝廉太郎のことを。
 ”うらみ”・・無念だったに違いない。明治の留学生の中で、私が最も長生きして才能を
 開花させてほしかった人物である。
 滝廉太郎に比べれば私は幸せだ。49年生きた。見たいと思った国はほとんど見た。
 もっとああすればよかった、こうすればよかった・・と今思っても、それが私の人生なのだ。

     8・28
 昨日から、乳房の奥からジーンと出てくるような痛みはなくなった。良い兆候だろうか?

     9・2
 明日、検査を受ける。
 先週、良くなっていると喜んだが、今はわからない。また時々痛みがある。
 それでも、明るく、明日の検査を受けよう。

     9・3(火)
 9:00  レントゲン検査。とにかく痛かった。写真はすぐにできた。
       だが、どういう状態なのか教えてはくれない。
 10:00 上のレストランで、海を見ながら朝食をとる。
 11:00 超音波。右のリンパ節部分に時間をかけていた。気になる。
   夜、NHKのきょうの健康を見る。

     9・4
 検査結果が気になる。 私はあと、どのくらい生きられるのだろうか。
 せめて、あと3年は生きたい。

     9・5
 今日、49才になった。
 シャンペンを開けて、アンデルセン物語のビデオを見た。
 見ながら思った。私には、他にやることがあると。まずは、あと3年生きたい。

     9・12 
 この日の分は、なかなか書けなかった。
 
 「最悪の場合でも、3〜5年はふつうに仕事ができるでしょう。」

 ある程度・・・。

 地下鉄の中でも、涙が出た。

 Tさんに「顔色が悪かった」と言われた。
 何気なくふるまうのが、つらかった。 1人になって、大声で泣きたかった。

     9・19
 組織診。 糸ミミズのようなガン組織を見る。その長さから、かなりの大きさになっていたことを
 実感する。
 今までいつも、できることなら東京から離れたところに暮らしたい、と思ってきたが、今回だけは
 東京に住んでいることをうれしく思った。地方では大病院でも良い専門医にめぐりあえたかどうか・・。

     9・24
 病院で、1人になれる場所がほしいと思った。礼拝堂のような。
 待っている間に区役所にTelをして、明日の委員会の準備をした。

     9・25
 軽いめまい、むかつき。 時々、体がいたむ。
 体がガンと闘っているのだろうか?

     9・28(土)
 通販で買ったかつらが届いた。私の頭が大きすぎて、うまくおさまらないが仕方ない。
 アデランスは高すぎる。
 来週後半には毛が抜けるだろう。その時次第でやっていくしかない。

     10・1
 今日から、抗がん剤投与後2週目に入る。あと何日、髪の毛がもつのだろうか?

 「神様、あと10年、仕事をさせて下さい
   ・シューベルトと滝廉太郎  ・白バラのメンバー  ・特攻隊  ・白虎隊
     他に好きな詩人も作家もいるが・・。

     10・7
 決特(注:決算特別委員会か?)傍聴時に、髪の毛が3本、パラパラ落ちた。
 いよいよ始まったか、と思った。せめてあと10日、10・17の全協まで、なんとかもってほしい。

     10・8
 3週目。手で耳のそばの髪をさわると、数本パラパラと抜けてくる。
 
 自分の意志で生き方を決めることができた。TVを見ながら、そのことが幸せなことだったことを知る。
 夜、急に雨になり、テラスの植木が気になり外に出る。すぐに頭がぬれた。
 そうか。私には今、髪がなかったのだ。

     10・16
 昼、美容室にTel  夜、人のいない時にたのみがあると伝える。
 18:20 美容室着 かつらを私に合わせてカットをたのむ。
       カタログで、両面テープをさがしてくれた。

 久坂 玄瑞   坂本 龍馬   高杉 晋作   近藤 勇   土方 歳三
 白虎隊(1868年9・22降伏 15、6才)  滝 廉太郎
 出撃前夜に神保町の古本屋の名前を順に上げて死んでいった特攻隊員 

     10・17
 カツラをバンドエイドとセロテープで止めてかぶる。おさまりが悪くて気持ちが落ちつかない。
 人目が気になる。 エレベーターの中でS氏から「イメージが変わった」と言われる。
 「うん、ちょっとおしゃれになったの」と答える。

 14:00 全協でQ(注:質問)をする。カツラが気になる。
       多くの人が、私のヘアスタイルが変わったことに気がついたようだ。
 16:00 1FのエスカレーターのところでK氏の夫人に会う。
       「もっとやりたいことがあったから無念だったようだ」
       元気をよそおいながら、このような話をするのはつらかった。 

     11・1
 私のヘアスタイルが代わったことが議員の間で話題となる。

     11・5
 今日からタキソールの投与。Zeit(注:時間)は今までより長く1時間40分。
 薬にアルコールが入っているのでねむくなる。

     11・14
 ふるさと歴史館友の会散策で赤坂〜日比谷高校を見る。
 こんなにゆったりした時間をすごしたのは何年ぶりだろうか。
 天気もよく、澄みきった秋空に国会周辺の紅葉が美しかった。
 帰りに四谷のキリスト教の店でルルドの泉の水が入った小びんを買う。
 何かにすがらないと、やはり、つらい。
                                     (つづく