白バラの心   No.19


( No.18のつづきです。)

   ( “クリスマスの文化史” 191ページ )
 本に書いてある通り、姉は収入の大半をヨーロッパのコレクションの収集につぎこみ、
  それらの品々にまさに埋もれるような生活をしていました。
  姉の死後、マンションの整理をするために玄関のドアを開けた私は、言葉を失ってそこに立ち尽くしました。
  今でもその光景が目に浮かびます。
  足の踏み場もないという言葉のままの状況が、玄関から狭い廊下へ、そして部屋へと続いていました。
  廊下をふさぐのは、ドイツから届いたまま荷ほどきもしていない大きな荷物。
  その箱に入っていたのが、若林ひとみ最後のコレクション、1820年頃のパン屋のドールハウスです。(会場に展示)
  その隣には、荷物が入ったままの海外旅行用の大きなスーツケース。
  体を横にしてこれらの前をすり抜け、廊下の作り付けの収納庫の両開きの扉を開けてみると、
  中には “しょいこを背負ってスキーをはいたクリスマスおじさん”。(会場に展示)
  隣のガラス戸棚にも、ぎっしりとクリスマスコレクション。
  部屋に入って押入れを開けると、ここもコレクションがいっぱい。
  部屋いっぱいに積み上げられた、コレクションを詰めた段ボール箱。
  ダイニングキッチンに進むと、テーブルの上にいくつものクリスマスツリーとドールハウス。
  そして、床から天井近くまで壁をびっしりと埋め尽くす本。
  姉は、およそ30年間アンティークの収集に情熱を注ぎましたが、残念ながら整理はしていませんでした。
  放射線の治療の副作用に苦しみながら、1人暮らしで翻訳をして、議員活動をして、ヨーロッパを訪れ、
  本の執筆をして、引越しもして・・、実際、整理をしている時間などなかったと思います。
  でも、ここまで整理をするのは、正直言って本当に大変でした。
    ( 最後のドイツ旅行日記の1部を朗読 )

  議員時代の“区議会だより”に「調べものは私の趣味」と書いていますが、クリスマスに興味を持ち研究を
  進めるにしたがい、収集にもますますのめりこみ、ドイツを中心にして毎年ヨーロッパ各国のクリスマス市や
  アンティークショップ、オークションを訪れては買い集め、増え続けていったコレクション。
  ただ、各国と言っても、姉はドイツから北、北欧の国々の方が、南のラテン系の国よりも好きだったようです。

  では、コレクションの1部をご紹介しましょう。
  顔なじみになると、店の表には出てこない品の極秘情報を得て、個人のお宅で買い取った貴重なものも
  ありました。それは、ナチス関連のクリスマスグッズです。
  姉は、ナチスへの抵抗運動を行ないギロチンで処刑されたミュンヘン大学の教授と学生のグループ、
  “白バラ”の存在をミュンヘン大学留学中に知りました。
  “白バラ”の紅1点、21才だったゾフィー・ショルのドキュメンタリー “白バラが紅く散るとき”を翻訳するために、
  ナチスに関してもかなりの量の本を読みこみ、資料を調べていました。
  ですから、ナチ時代のクリスマスグッズも、無理をしてでも手に入れたかったのだろうと思います。
  これらが収められた箱を始めて開けた時、私は手が震える思いがしました。
  
  軍用資金を集めるためにナチス政府が国民に販売したミニ本は、ひもでツリーにつるしたり、胸ポケットに
  しまって政府への忠誠を示したりしたそうです。
  グリム童話や童謡集と、ヒトラーの写真集の2種類のシリーズがあります。
  ヒトラーの写真集には、笑顔で子供達と並ぶヒトラーの写真が、ゲシュタポ達の写真と一緒に収められています。
  “赤ずきん”や“長靴をはいたネコ” “シンデレラ”などの童話集のさし絵は、狂気の時代のものとは思えぬ
  かわいらしい絵です。さし絵画家の名前も記されています。
  ナチス時代のガラスのオーナメントの形は、それまでの時代の鳥や飛行船・気球・松ぼっくり・ティーポット・
  ベルなど、生活に密着した様々な形やカラフルな色使いから、“ユル・クーゲル(ゲルマンのガラス玉)”と
  呼ばれる平べったい独特の形で作られるようになり、彩色も少なくなります。
  デザインも、ゲルマン信仰の太陽や樫の木、アドルフ・ヒトラーの頭文字である“A”などが登場します。
    ( “クリスマスの文化史” 59ページ )
  ミニ本シリーズがこれだけ揃っているのは、おそらく他にないということですが、ガラスのオーナメントも含めて
  非常に貴重な品です。動物の形の繊細なオーナメントは、ナチス時代に数量限定で製作されたものが
  完全な形で残っています。戦火をくぐり抜けてきた歴史の証人達、じっくりとご覧下さい。

  
  ヒトラーの写真のミニ本とナチス関連施設の写真集   鹿や犬、ガチョウの極薄ガラスのオーナメント

  そして次は、先ほどお話した最後のドイツ旅行で購入した1800年代のパン屋のドールハウス。
  私は、美しいガラスのツリートップ “シュピッツェ”や、たくさんのオーナメントが箱の中から次々と現われるのにも
  感動の声を上げました。でも、このドールハウスに対面して、1つ1つのパンや道具類を並べ終えてパン屋を
  完成させた時の喜びは格別のものがありました。
  この古いパン屋と他のドールハウスの違うところは、1つは木に厚みがあり重いこと。
  最初にドイツからの梱包の箱から取り出す際は、重くて1人で持ち上げることはできませんでした。
  もう1つは、他のドールハウスは前に扉がなくて中味がオープンの状態ですが、これは屋根と前扉が閉まり、
  正面でかんぬきをかけるようになっている、ということです。
  雪が積もって真っ白の屋根を開け、そして正面の扉を開けますと、中は何もないがらんどうのハウス。
  税関で小麦粉が入った袋を検査され、白い粉が散乱していました。
  当時のパン職人が使っていた道具類を1つ1つ手作りで、忠実に再現してあります。
  クリスマスのお菓子 “レープクーヘン”の様々な金型や、大小様々なフルイやナイフ、ふいごに火かき棒、
  チーズを仕掛けたネズミ捕りに、捕らえたネズミを入れるかご、使いこんでボロボロになったように細工してある
  布製のハタキ、そして焼き上がったパンやお菓子も1個1個手作りです。
     ( レープクーヘンについては、“クリスマスの文化史” 171ページ〜 )
  クリスマスにこのハウスをプレゼントされた子供は、当時のかなり裕福な家庭の子供だったと思います。
  クリスマスプレゼントを受け取ることができたのは裕福な上流階級の子、そのプレゼントを作る担い手は
  貧しい家庭の子供達でした。 ( “文化史” 142〜143ページ ) 貧しい家庭の子は、クリスマスグッズを
  首から下げた小さな屋台で売り歩いたり、赤いロウソクを街角で売ったそうです。
  “マッチ売りの少女”のお話、そのままですね。逆に、“クルミ割り人形”は裕福な家庭の物語です。

  こんな風に貴重なクリスマスグッズを収集したり、研究を進めていった姉のパワーの原動力は、
  幼稚園の日曜学校でいただいたクリスマスカードへの素直な感動、留学時代の暗い気持ちのホームシックから
  立ち直らせてくれたドイツのクリスマスへの感激という、子供のような純真さ、そして心からクリスマスを
  愛する気持ちだと思います。
  先々月、(2008年)10月に、若林ひとみが訳した “灰色やしきのネズミたち”を読んだ中学生の方から、
  ひとみ宛てにていねいなお手紙をいただきました。
   「この本に出会わなかったら、私は本を全然読まない人間になっていたかもしれません。」
  この方からの手紙を読みながら、私はもうお1人からの姉への手紙を思いました。
  15年前の12月、ミュンヘンの消印がある返信を受け取ったのは、当時小学5年生の男の子でした。
  “ サンタさんからおへんじついた!? ”  かつてサンタ村に迷いこんだ若林ひとみは、しばらくの間
  サンタ村で暮らすことになり、村の女性記者、ギッテ・ハーゲンと親しくなります。
  そんな素敵な体験をした翻訳者に、「僕にもサンタ村の住所を教えて下さい。」と手紙が届きました。
  では、ご本人のご了解をいただきましたので、男の子のお願いに対する若林ひとみの返事を、
  そのまま読ませていただきます。  
    ( 手紙の内容は “白バラの心” No.16でご紹介しておりますので、ここでは割愛します。)
  
  厳しさとやさしさ、探究心とロマンが背中合わせの、“ 若林ひとみとクリスマス ”。
    ( 最後のスケジュール帳の7月29日、「岩波、始め!」を紹介 )
  息を引き取る2ヶ月前の9月、肺に転移したガンのあまりの痛みに滞在先のドイツのホテルで気を失い、
  帰国後の10月に救急車で聖路加病院へ入院。
  でも、岩波書店の“ 名作に描かれたクリスマス ”は、まだ書き上がっていませんでした。
  病院のカフェで編集者の方と打ち合わせを行ない、病院から岩波にファックスを送りました。
  担当して下さった若月さんからは、「白紙のファックスが会社に届き、もしかしたらこれは若林さんじゃないかしら、
  と連絡を取ったこともありました。本当にできあがるのか、ハラハラ、ドキドキの綱渡りの出版でした。」と
  伺いました。
  残り1ヶ月を切った命と向き合い、病室で “名作に描かれたクリスマス ”の原稿を仕上げ、
  引き受けていた東京・江東区でのクリスマスについての講演の原稿をまとめ、退院後の北欧とドイツ行きの
  準備をしていました。姉のクリスマスへの夢は、まだ続いていたのです。
  息をするのも苦しいのに回復を信じ、携帯の酸素吸入器を航空機へ持ちこみ、各国のアンティークショップや
  クリスマス市を訪れる予定を立てていました。
  2004年、ローマの神父さんに「いずれ入信したい」とお伝えしていましたが、この年、2005年の12月24日に
  洗礼を受ける手はずを整えました。しかし、できあがった美しい本を見届けた1週間後の11月25日に
  永眠いたしました。
  若林ひとみは “ 名作に描かれたクリスマス ”の続編のような作品の構想を持っていたようで、
  走り書きのメモが遺されていました。でも執筆のための知識は、残念ながら本人と共に雲の上へ
  旅立ってしまいました。

  コレクションの中に音の出るものがありますが、それは展示しているだけでは楽しんでいただくことはできません。
  最後に、音が出るものを2つ、みなさまにご紹介いたしましょう。
    ( まず、ロウソクの熱で天使が回って風鈴のように音が出る、生誕シーンのひそやかな音 )
  そして、1800年代のオルゴール付きのツリーの“きよしこの夜”のメロディーを聞きながら、私の話を
  終わりにしたいと思います。   ありがとうございました。      」
  
  
   1番下がロウソク立て、中ほどが生誕シーン     これが1800年代のオルゴール付きツリー