白バラの心  No.16


2008年7月の初旬、手ざわりの厚い1通の封書が届きました。 見知らぬ方からです。
でも、雰囲気でわかります。これは、若林ひとみに関するお手紙だな、と。
封を開けてみると、ご本人からのお便りと一緒に、見覚えのある踊るような文字が綴られた
便箋のコピーが何枚もたたまれています。

ご本人のお便りを読んで驚き、そして、若林ひとみからこの方が受け取った手紙を読み進めるうちに
涙が止まらなくなりました。
私は、この方にお願いしました。 「手紙を公開させていただけないでしょうか。
                       他の方々にも、ぜひ読んでいただきたいのです。」
この方は、すぐに快く承諾して下さいました。 
          「先生から大きな影響を受けたひとりとして、
             先生の想いを残し、伝えていくことに少しでも貢献できれば嬉しいです。」


15年前、「サンタ・クロースはいる」と信じる1人の小学生の男の子が、
「サンタ村に住むサンタ・クロースとトナカイへの質問と回答」がていねいに描かれている
“ サンタさんからおへんじついた!? ” という本を読んで、感想と質問の手紙を出版社に送りました。
この本の舞台である「サンタ村」に迷いこんだことがあるという著者に、男の子は頼みました。
   「サンタ村の住所を教えて下さい。」
数ヵ月後、ドイツに旅立った著者から返事が届きました
      
     
     (1993年12月16日 ミュンヘンのスタンプがある、若林ひとみからの航空便
 
 「 知里君
   9月には、お手紙をどうもありがとう。私からいつまでも返事がないので、どうしたのかと
  思っていたことでしょう。ごめんなさい。
   あの本をとても気に入ってくれて、どうもありがとう。
  時間をかけてじっくり読んで、サンタのことに興味をもってくれて、とてもうれしく思っています。
  ほかにも、あの本を読んだ人から手紙をもらいましたが、知里君ほど気に入ってくれた人は
  いませんでした。
   知里君からお手紙をもらったのは、仕事がとても忙しい時でした。
  仕事がおわったらゆっくり返事を書こうと思っていたのですが、仕事はなかなか終わらず、
  11月の末までかかってしまいました。
  そして12月2日に私はドイツに来て、この手紙もミュンヘンで書いています。
  知里君に返事を出さないままドイツに来てしまったことを、とても申し訳なく思っています。
   ドイツに来るまでも、また、来てからもずっと忙しかったのですが、でも私は9月からずっと、
  知里君になんて返事を書こうかと考えていました。
   あの本のことを、どういうふうに説明したら知里君にわかってもらえるだろうかと、
  ずっと考えていたのです。  ポプラ社の人とも相談しました。
  そして、いろいろ考えた末に、知里君にはほんとうのことをお知らせするのが一番いいだろうと
  思いました。 知里君は5年生ですが、手紙の書き方もとてもしっかりしています。
  それに、返信用の切手までわざわざ同封してくれて、ありがとう。
  知里君は、本を読んで、いろいろ調べたりするのも好きなようですし、勉強もできて、
  頭もいいんだろうなと思いました。 ですから、ほんとうのことを手紙に書いても、
  知里君ならわかってくれると思いました。

   じつは、あの本は私が書きました。
  サンタ村は、私の空想の中にある村で、私がサンタ村の新聞記者ギッテ・ハーゲンに
  なったつもりで、あの本を書きました。 
  ですから、サンタ村の住所は、残念ながら教えられません。
   びっくりしましたか? もしかしたら、びっくりしたというより、がっかりしたかもしれませんね。
  友だちになんと言おうかと考えているでしょう?
  私のことを、ひどいうそつきだと思いましたか?
   ないものをあるように書いて、それを本にしたのですから、うそつきと思われてもしかたが
  ないかもしれませんね。 でも私は、うそを書いて、読者をだまそうと思ってあの本を
  書いたのではありません。

   私は、かれこれ20年近く、クリスマスのことを調べています。
  調べれば調べるほど、もっともっといろいろなことが知りたくなって、(ちょうど知里君の
  ようですね)今、ドイツに来ているのも、クリスマスのことを調べるためです。
   こうして、クリスマスについてはいろいろなことがわかったのですが、それとは別に、
  なん年も前から私は、マルテたちがいるようなサンタ村がどこかにあったらいいな、と
  ずっと思ってきました。
  そして、思っているうちに、ギッテやマルテやセーレンやドルテが、いつのまにか私の頭の中で
  動き出して、あの本のもとになる話ができました。
  私の考えた話を、ポプラ社の人もイラストレーターの南家さんも気に入ってくれて、
  あのサンタ村の世界をほかの人にもいっしょに楽しんでもらうために、あの本を作りました。
   自分で作った話ですから、ほんとうはあのサンタ村はこの世にはないことは、私も
  よくわかっています。 でも、世界のずっとずっと北のはてに、マルテたちはいるのだと、
  信じています。
   ないものをあると信じるなんて、おかしいですか?
  でも、世の中には、『あれはないのか、なーんだ』なんて思うより、『あれは、世界のどこかに
  あるんだ』と思っていたほうが楽しいことって、ありませんか?
  サンタ・クロースのことも、『サンタなんていないんだ。 あれは、おとうさんやおかあさんが
  やってるんだ』なんて思うより、地球の北のはてに、サンタ村がある、と考えているほうが、
  すてきじゃないですか?
   私は、もう大人です。たぶん、知里君のおとうさんやおかあさんと同じくらいの年だと
  思います。 でも、私は今でも、ロンドンにはメアリー・ポピンズがいると思っています。
  フィンランドの森には、ムーミンたちがいると思っています。
  そして、こういうふうに思いながらイギリスや北欧を旅行していると、『メアリー・ポピンズ
  なんて、いない。ムーミンなんて、作り話だ。』なんて思いながら旅行するより、ずっと
  旅行が楽しくなってきます。

   これで、私があの本を書いたわけがわかってもらえたかしら?
  サンタ村の住所は教えられませんが、もしサンタ村のことでもっと知りたいと思うことが
  あったら、また手紙を下さい。
  もしかしたら、知里君といっしょに、マルテたちの出てくる次の本が作れるかもしれません。

   12月21日 夜 8時、NHKの『日本人の質問』という番組に、私がちょっと出て、
  『クリスマスにどうしてくつ下をさげるのか』という質問の説明をします。
  (私の出てくる部分は録画です。私の帰国は今月の末ですから)
  もし、この手紙が21日までに届いたら、見て下さい。
   きのうは、クリスマス・ツリーに飾るガラス玉を世界で一番最初に作った村を見てきました。
  この村は、ドイツの森の奥深いところにあって、私が、その村を訪ねた最初の日本人でした。
  ちょうど私が着いた時に雪がふりだして、外に立てられたツリーにも雪がつもって、
  きれいでした。
   札幌も、もう雪がかなりあるのでしょう?
  どうか、かぜなどひかないようにして、たのしいクリスマスをむかえて下さい。
                                          
                                         さようなら

       12月16日    
                                    若林 ひとみ            」


大人になった今も、「大切な宝物」であるこの手紙を本と一緒にしまって下さっているこの方は、
若林ひとみと同じように、サンタ村を信じ、雪降る街に夢のように現われるサンタ・クロースを
見ることができる方なのだと思います。


   
            “  サンタさんからおへんじついた!? ”
                  
                     
        1992年 ポプラ社     若林 ひとみ 作    南家 こうじ 絵

    (本の帯の文章から)  サンタがかいたサンタの本
          世界中のこどもたちからの質問に サンタクロースが答えます。

                  サンタクロースにききたいこと
       Q   サンタクロースはどうしておじいさんなのですか?
       Q   どうして赤い服をきているのですか?
       Q   どうして世界じゅうの道がわかるのですか?
       Q   とちゅうでおなかがすくことは、ありませんか?
       Q   夏のあいだは、なにをしているのですか?
       Q   12月24日の晩に、サンタクロースを見るには、どうしたらいいですか? 

   世界中の子供たちからサンタクロースやトナカイへ寄せられた、たくさんの質問の中から、
   23の質問を取り上げました。 回答するのは、サンタ村新聞局のギッテ・ハーゲン記者。
   ユーモアたっぷりのていねいな答えを、かつてサンタ村を訪れ、ハーゲン記者と交流のある
   若林ひとみが日本語に訳しました。

   この “ サンタさんからおへんじついた!? ” は、韓国では出版が続いていますが、
   日本では残念ながら絶版となっています。
   多くの方から復刊のご希望が寄せられ、ギッテ・ハーゲン記者の夢のある名回答が
   再び日本の子供たちに届くことを願っています。

   ( 山田 知里さんのご好意に、心より感謝いたします。 ありがとうございました。)