白バラの心  No.12



11月に入り、25日の姉の命日が近づいてくるにしたがい少々気分が落ちこんでいます。
カレンダーを見ては、今頃は聖路加に最後の入院をしていたんだ、とふと考えます。
それは多分、姉に対しての心残りがあまりにもたくさんあるからだと思います。
進行性の難病を数年間患い寝たきりとなった母に対しては、つらい看病の日々の連続だったとはいえ、
入院した時は毎日病室を見舞い、手術をした時は床に寝て付き添うことができた、もつれる言葉で
「ありがとう」と母から言ってもらえた、家族みんなができるだけのことはやった、と
自分を納得させることができます。
でも、姉に対しては、時間を取り戻してやりたいことがあまりにも、あまりにも多過ぎるのです。
お姉ちゃん、あなたと話がしたい。あなたと一緒に会津に行きたい。ドイツにも一緒に行きたい。


 
        おなかいっぱいピザを食べて    →→→  記念写真


1年前の一周忌に開かれた「偲ぶ会」の席上、仙台の高校の同級生の方がこうおっしゃいました。
「高校時代のひとみさんは、決して行動的な人ではありませんでした。
 どちらかというと、静かなる闘志を内に秘めている、というタイプでした。
 あの頃から、自分の夢に向かって確実に歩き始めていたんだな、と改めて思います。」

青森の中学から仙台の女子高を受験した姉は、合否の結果の連絡が届くのを自宅で待っていました。
家庭にまだ電話がなかった時代、父がまもなく転勤する予定の仙台の同僚の方が高校へ合格発表を
見に行って下さり、青森の勤務先へ電話で知らせて下さる手はずになっていました。
でも、発表の予定時間をだいぶ過ぎても連絡はきません。
引っ越しの準備の最中だというのに、母と姉は外へ出ると、しゃがみこんで庭の草むしりを始めました。
黙々と雑草を取る2人を、私は家の中から見ていました。
「だめだったんだ。」 姉がつぶやき、母と姉は暗い表情でうつむいていました。
それからしばらく時間が経ち、玄関先に「ごめんください」と男性の大きな声。
「娘さん、仙台の高校に合格されたそうです。」
ガラリッ!と庭に面したガラス戸が外から激しく開き、姉が畳の上にひざで飛び乗りました。
目を見開き、無言で口を開けています。その後ろに、まったく同じ表情の母。
「受かった! 受かった!」 母と姉は抱き合って涙を流していました。
ふうん、お姉ちゃんみたいに成績のいい人でも、こんなに心配するんだ。 
私は、意外な思いで合格を喜ぶ姉を見ていました。

議員時代を知る方々の中には、姉に、激しい“女闘士”のようなイメージをお持ちの方も
おいでかもしれません。でも議員以前を知る者にとって、頼まれれば、責任感の強い性格から
いろいろな役目を引き受けることはあっても、姉は決して自分から人の先頭に立って
行動を起こす人ではなかったのです。目的のためにひたすら学問を追及し、学生運動とも無縁でした。
非常に頑固で、非常に真面目で、非常に正義感が強く、それゆえ、実は古風な日本女性としての
奥ゆかしさや愛らしさ、やさしさを表に出すのが決してうまくはなく、損をすることのある人でした。

やはり偲ぶ会での、出版社にお勤めの女性の方の言葉です。
「ひとみさんは厳しい人、というお話がありましたが、私が知るひとみさんは、細やかな心遣いのある
 とてもやさしい女性でした。
 そして、翻訳をする場合、普通はエージェントを通して話を進めるのですが、語学に堪能なひとみさんは
 エージェントを通さず、ご自分で海外の出版社とどんどん交渉をなさっていました。」
これから出版や翻訳の仕事をめざそうという方達には、「エージェントにもいろんな人間がいるから」と、
若い頃の自分の苦い経験からの現実的なアドバイスも忘れませんでした。

東京外語大の同級生の方が、同窓会誌に「ひとみさんは、当時の人気ドラマ“ありがとう”を見るために
親戚の家に行っていた。」と書いておいでですが、(大学入学当初は部屋にテレビがありませんでした。)
姉はこのドラマの主演、石坂浩二さんのファンでした。
石坂浩二さん主演のホームドラマシリーズは、かかさず見ていました。
中学・高校時代は、ショーン・スカーリーという10代の俳優のブロマイドを机の引き出しにしまっていました。
当時はやっていた、ディズニーが製作したウィーン少年合唱団を舞台にした映画に主演していた男の子です。
ジェームス・ディーンも好きでしたね。
姉は・・どうもハンサムな男性が好きだったみたいです。

遺品の裁縫箱には、たくさんの針と糸・ボタン、何種類ものハサミ。
宝石箱には指輪やネックレスと一緒に、胸元を飾る手縫いのアクセサリーがいくつも。
タンスには、昔、母が元気だった頃に作った洋服が何着も入っていました。
その服を修繕した跡は、きっと姉の手縫いの縫い目でしょう。古いものを大切に使う人でしたから。

「ドイツにはアップルパイがないから、友人達にごちそうしたい。レシピを送ってちょうだい。」
ドイツに留学中の姉からの手紙、レシピを知らせる前にお菓子作りの本を見ながらアップルパイを焼いてみました。
「本に出ている通りの砂糖の分量だと甘いかな。少し砂糖を減らした方がいいと思うよ。」
そう書き添えてレシピを送りましたが、初めてのアップルパイはドイツ人には甘すぎてあまり評判が
よくなかったそうで、がっかりしたと返事がきました。


本棚からは、執筆の際のいろいろな資料も見つかりました。 (省略して1部を掲載いたします。)

  「                                      2004年8月26日

   私は、今秋、白水社より『クリスマスの文化史』という本を出版する予定で、目下、準備を進めております。
   30年間、ドイツ・オーストリアを中心に行なってきたクリスマス関連の取材をもとに、日本ではあまり
   知られていないクリスマスの習慣を、高校生以上の読者を対象にまとめたものです。
   私の専門がドイツですので、ドイツ語圏の話がほとんどです。
   細かいデータでわからないところがいくつかありまして、ローマ法王庁大使館に問い合わせましたが、
   大使館では資料の持ち合わせがないということで、ローマ在住の神父様をご紹介いただきました。

   なお、私はまだキリスト教徒ではございません。30年前、ドイツ留学中に初めてドイツのクリスマスを
   経験して以来、興味にかられていろいろ調べてまいりました。
   この間、キリスト教の歴史についても学んでまいりましたが、もう少し勉強したうえで、いずれは
   カトリックに入信させていただこうと思っております。     

2005年の12月24日、ドイツの教会で洗礼を受ける予定でしたが、果たせませんでした。

  
  「                                      05.11.17

   昨日はおでんわをありがとうございました。
   最後の段階で、章タイトルの上のカットを取っていただくことをお願いして申し訳ありませんでした。

   さて、献本先のリストをお送りします。住所がわからない人もいますが、お手数ですが、
   お調べいただけますでしょうか?        

これが、聖路加病院から岩波書店の編集者にお送りした最後のFax。
翌日の11月18日が、遺作となった「名作に描かれたクリスマス」の発行日です。

 
         最後の手書きの文章            ローマ法王庁大使館宛ての手紙