ベーからの手紙      
  No.51 FEB.12. 2002

 元気ですか?
 やっと届きました!12月に着く予定だった、イタリアからの
 セント・バーナードのカレンダーと雑誌と写真集が。
 航空便で53日間。
 首を長くして待っていたから、すごく嬉しい!

   1通のメールで始まった、イタリアのセント・バーナードクラブ、AISBとの交流。
   僕達が、映画「ベートーベン」を製作したアメリカのユニバーサル社と裁判をした話には、
   「こりゃスクープだ!あの映画に出演したセント・バーナードのブリーダー(繁殖者)に
   手紙を出したんだ。出演犬の写真を送ってきてくれたんだぜ。」
   クラブマガジンの編集者、グイド・ザネーラ氏は、世界中のセント・バーナードクラブとの
   交流の窓口になっています。
   スイスはもちろん、ヨーロッパ各国、アメリカ、南アフリカ、ニュージーランド、ブラジル・・・・、
   そして日本。
   彼が送ってくれた雑誌を開くと、まずイタリアのドッグショー風景。
   大きい!何がって、セント・バーナードが。ヨハンより、ふた回りは大きいんじゃないかなぁ。
   そう言えば、1月26・27日にミラノで開かれた、3000頭位の犬達が集まったショーを
   見てきた知り合いの方も、(僕の妹と暮らしていた方です。)「向こうのバーナードは体高
   (足先から肩までの高さ)があるねぇ。そして、街の中にも大きな犬があちこちにいる。
   写真でしか見たことがないような種類の大型犬がね。」
   ページをめくると、アルプスを登山する人とバーナード達のたくさんの写真。
   みんな、サン・ベルナール僧院をバックに記念写真。
   やっぱり、ここはセント・バーナードにとっての「聖地」なんだね。
   「セント・バーナードを食肉にするのはやめて!」
   食用のためにバーナード犬を飼育している国に抗議する横断幕やプラカードを手にした、
   デモ行進の記事もあります。テレビカメラがいっぱい写っています。

   カレンダーは、お店の壁に掛けました。
   そして、今イタリアで原稿を仕上げている最中の最新号では、
   「日本のセント・バーナード」の特集、「バーナード犬がトレードマークの仙台のお店」を
   紹介してあるんだって。
   「出来上がったら、まとめて送るよ。」

   しばらく前から、ザネーラ氏のメールの文字がはずんでいます。
   「すばらしい!サッカーのイタリアナショナルチームが仙台でキャンプするんじゃないか。
   決勝まで進むから、よろしく!」
   "Dear Guido "  " Dear Hiroshi " で始まるメールは、これからも続きそうです。
         (ザネーラ氏の家族と愛犬の写真を下にご紹介します。)   

 
                      今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven
 


  Mr.Zanella
    and
   Gastone












 My son
     and  Gas



My wife
   and        Gas
ベーからの手紙      
  No.52  FEB.23. 2002
 元気ですか?
 今日は、僕達の血統書の話をしましょう。
 血統書には、正式な本名、生年月日、兄弟の数、お父さんとお母さんの
 家系図などが、くわしく書いてあります。
 あなたも持ってます?血統書。
 あ、人間は戸籍って言うんですか。

   「所有者」の欄がパパの名前に変わったヨハンの新しい血統書が届いて、
   パパとママは考えました。
   「ヨハンは、一体どんなセント・バーナードなんだろう?」
   血統書を見ると、いろんなことがわかります。
   生まれたところの「犬舎名」というのがあって(馬の厩舎名と同じです)、
   それから犬としての個性を想像することができます。

   たとえば僕。ふむ、兄弟は6頭、お父さんもお母さんも日本生まれのチャンピオン犬、
   両方のおじいちゃんはアメリカからやって来たチャンピオン犬か。
   ほほう、お父さんの方のおじいちゃんは有名だった犬じゃないか。
   そして母さんの方のおじいちゃんは・・・あ、ガンシャイだったあの犬。
   僕が大きな音に臆病なのは血なんだ。
   というように、どんな遺伝があるのかもわかります。

   さて、ヨハンの血統書。
   ヨハンのお母さんは日本生まれ。アメリカからのセント・バーナードの血の流れです。
   そして、お父さんは・・・おや、外国から来たんだね。
   IKCって、どの国の犬の連盟だろう。
   イタリア?アイルランド?それともアイスランド?・・・アイルランドだ!
   君の血の半分は、ヨーロッパの北の国なんだ。
   2才で家族に加わったヨハンの事を、パパもママも何も知りません。
   ヨーロッパのどんな犬舎から、ヨハンのお父さんは日本へやって来たんだろう。
   パパはパソコンに向い、アイルランドのセント・バーナードクラブへメールを送りました。
   「教えていただけますか?」
   次の日の朝、返事が来てました!
   「私のメスの愛犬、タンガは今年2才。タンガとヨハンのお父さんは、同じ犬舎の出身よ。
   繁殖した人に聞いてあげるわ。」
   キャロライン・マヘールさんの文章に僕達は大喜び。
   「3月6日、タンガは初めての出産予定なの。」
   3月6日? ヨハンの誕生日だ。
   タンガ、きっと可愛い赤ちゃんが生まれるよ。

   ヨハンの体の毛が、今まで会ったセント・バーナードよりも長くて量が多いのは、
   アイルランドの寒さに耐えるためなんだろうね。
   君のもう1つの故郷とのお付き合いが始まったよ。

 
                   今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven




  Tanga
  in Ireland
 ベーからの手紙      
  No.53 MAR.5. 2002
 
 元気ですか?
 もう春みたいな陽気ですね。
 あんまり暖かいと、セント・バーナードにとってはつらい毎日に
 なってしまいます。
 ヨハンは、この夏大丈夫かなぁ。

   ヨハンが訓練所からうちにやって来た時は、犬のしつけの勉強をしている専門学校の
   生徒さん達が、きれいに手入れをしてくれていました。
   爪、ひげ、耳の中も、全身ピカピカでした。
   どうもこの頃、耳のそうじはしているのにパタパタと耳を振ってかゆがるんです。
   耳の中をよくのぞいてみて原因がわかりました。
   いつのまにか中の毛がすっかり伸びています。
   僕や1代目のベーは、こんなに耳の中には毛が生えてなかったよ。
   うぶ毛が奥の方まである。これじゃあチクチクするよね。
   ヨハンを横にさせて、ママが毛を少しずつつまみ上げてハサミでカットしていきました。
   じっとしているのを嫌がるヨハンは、当然何度も怒られました。

   セント・バーナードの1頭1頭にそれぞれの個性があるんだけど、
   ヨハンの体の毛は1本1本が長いんです。
   首回りには、特に長い毛がうねっています。
   血統書をよく見る前、きちんと立ったヨハンの姿にパパが言いました。
   「おなかの下に長い毛が垂れる具合やしっぽは、なんかアイリッシュ・セッターみたいだな。」
   アイリッシュ!
   まさにその通り、ヨハンはアイルランドの血を引いているんだよね。
   でもこの頃、肩から胸の厚み、後ろ足の筋肉もだいぶついてきて、
   見た感じも少しずつ変わってきています。
   ま、僕から言わせてもらえれば、一人前の男としてはまだまだ、だけどね。

   毛が長くて密生しているから、春の暖かさでヨハンはもうひどく暑がります。
   ヨハンが長生きするためには、早めに、僕達の時のようにバリカンで全身を
   サマーカットしてあげるといいんだけど、パパとママは5月19日の仙台の
   ドッグショーでデビューさせたいみたいです。

   ヨハン、暑くてつらいのはわかるけど、公園で水をあんまり飲み過ぎない方が
   いいと思うよ。後で、お腹をこわしちゃうから。
   君は、たっぷり牛乳をもらってるじゃないか。

 
       追伸
          そうだヨハン、明日は君の誕生日だね。
          ひと足先に、おめでとう!

                           今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.54 MAR.16. 2002
 
 元気ですか?
 いやはや、お手上げです。
 食事の時のヨハンの気難しさったら。
 今朝も何が気に入らないのか、プイッと横を向いて口をつけませんでした。
 時々起こるんですよ、こういうわけのわからないワガママが。

   去年ヨハンが訓練所に連れて来られた時は、かなりやせていたそうです。
   訓練士さんが言ってました。
   「食欲にむらがあって苦労しました。」
   ヨハンの目標は、もっと体に肉をつけて体の幅を作ること、それから後ろ足の筋肉を
   鍛えることです。
   そのためには、まず栄養をたっぷり取らなくちゃね。
   大きな食器に、ドッグフード・鶏のササミ・キャベツの千切り・チーズを入れて、
   牛乳をたっぷりかけます。
   初めの頃は、「途中で取り上げられたら大変」とでもいうような、
   ガフガフとがっつくような食べ方でした。
   「10秒フラット!」 ママが叫びました。
   こういう食べ方は、僕達のような大型犬に起こりやすい胃捻転の危険があるんです。
   ガフガフと食べる時に、胃の中に空気が一緒に入り込みます。
   僕達の胃は、人間と違って横になっています。
   空気でふくらんだ胃は食べ物の重みでブランコのように揺れて、反動でグルンと
   ねじれてしまいます。
   (水分の少ないドッグフードだけの食事だと、特に空気が入りやすいそうです。)
   僕達は「苦しい」と痛みを訴えることをしないから、手当てが遅れると
   命を落としてしまうこともあります。

   「この食べ方はやめさせないと。」 
   パパは食器を手に持って、声をかけながら落ち着いて食べさせるようにしました。
   今では、ヨハンの食べ方はすっかり変わりました。
   問題はその後です!
   毎日 鶏肉入りの食事だなんて僕からすればごちそうなのに、
   味に飽きてしまったのか、時々「いらないっ」とそっぽを向くんです。
   1代目のベーと僕ではそういう苦労をしたことがないパパとママは、
   なんとかして食べさせようとあの手この手を使っています。
   「ドッグフードを変えてみようか? パンを入れようか。
   ローストビーフをのせたらどうだろう? おお、これはさすがに食べるな。
   ビーフジャーキーは好きか、うん? もっと牛乳飲むかい?」
   ヨハン、君はわがままだよ。

   それよりもパパだ!!
   ヨハンには、なんていう甘やかし方をするんだろう。
   僕達にはあんなに厳しかったじゃないか!
   パパ、僕とヨハン、一体どっちが可愛いの?

                   今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven

『ベートーベン8才の時』
『ヨハン3才』
ベーからの手紙      
  No.55 MAR.29. 2002

 元気ですか?
 ガラスの向こうに見えた郵便屋さんの姿。
 手にしている大きな封筒の表書きはアルファベット・・・来た!
 イタリアからだ!


   イタリアのセント・バーナードクラブ、AISBのクラブマガジンは年に3回、
   4月・8月・12月号を発行、世界中へ送り届けられています。
   立派な表紙、A4版の雑誌です。
   届いたばかりの最新号の目次を見ると、「 16 San Bernardo Made in Japan 」と
   出ています。
   おや? 目次の横の写真の中に見覚えのある顔。
   これは、僕の仲間、ジャック君じゃないか。
   まるでイタリアのセント・バーナードみたいに見えるね。
   さて、16ページ、16ページ、・・・・と、おお、あった!
   僕達、日本のセント・バーナードの紹介の記事だ。
   この記事は、パパに代わって札幌のブリーダー(繁殖者)の方が
   専門的な内容を書いて下さいました。
   原稿の締め切りぎりぎりになって、この方のコンピューターが
   ウィルスに感染してしまい大慌て。とてもご苦労をおかけしました。
   ああ、でも残念。英語で送った文章はもちろんイタリア語になっているから、
   なんて書いてあるか読めないんです。翻訳を頼まなくちゃ。
   左側のセント・バーナードの切手の写真、日本にこんな切手があるってこと、
   みなさんご存知でしたか?

   そしてページをめくると・・・・僕だ。
   お店の写真、僕のマーク、ヨハンもいる。
   この右の写真はね、(ここだけの話ですよ) 家族の写真が欲しいと言われて、
   ママは10年前の写真を封筒に入れてイタリアへ送ったんです。
   「大丈夫よ。ここまで調べには来ないから。」

   「 Forza ! Azzurri Club 」 (フォルツァ アズーリ クラブ )
   5月に仙台へやって来るイタリアのナショナルサッカーチーム、
   「アズーリ」を仙台市民で応援しよう!
   できたばかりのこのクラブも、イタリアへ、そして世界中へ
   紹介することができました。

   今日もメールが届いています。
   「日本の皆さん、セント・バーナードの樽のたくさんのご注文、
   ありがとう。職人が1つ1つていねいに作っていて、
   全部完成するのは5月の予定なんだ。
   今、手元にある樽は4つ。どうする?これだけ先に送るかい?」

                      今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven
     
追伸
   夜、またイタリアからメールが来ました。
   なにかあったみたい。

   「在庫している4個の樽を日本へ先に送る約束をした後で、
   いったいどこから樽の注文が来たと思う?
   スイス・アルプスのサン・ベルナール僧院からだよ!
   僕はこう返事したね。『世界中からたくさんの注文が来ているものですから、
   申し訳ありませんが数ヶ月お待ちいただかなくてはなりません。』
   エッへッへッ!!」


   セント・バーナードの本家本元から注文が来るなんてすごいじゃないか!
ベーからの手紙      
  No.56 APR.12. 2002
 
 元気ですか?
 すっかりうちの家族になりきって、両足を投げ出してイビキをかいて
 ぐっすり眠っているヨハン。
 ヨハンとの突然の出会いも、振り返ってみると
 きっと運命だったんでしょうね。

   あの年は、9月になっても30度を超すとても暑い日がありました。
   もうすぐ15才、すっかり年を取って歩くことができなくなっていた僕は、
   おしっこもウンチも寝たまま、一緒にお店に行くこともできず、
   自分の部屋でじっと体を横にして1日を過ごしていました。
   その日の朝、少しは日光浴ができるようにと、パパは僕を部屋の外に寝かせて
   お店へ出掛けて行きました。
   機械を動かしてコーヒーの豆を焙きながら、パパは外の様子を見て
   気が気じゃなかったそうです。
   午前中からジリジリとお日様の光が強くなり、気温がぐんぐん上がってきました。
   暑い・・・。
   僕は、自分では体をまったく動かすことができません。
   少しでも日陰へ逃げようと、顔をほんの少しだけずらしました。暑い・・・。

   「家へ戻る!」
   焙煎が終わるとすぐに、パパは車に飛び乗りました。
   息を切らせて駆けつけたパパは、冷たい水を手ですくって僕の口へ流し込んでくれました。
   「ベー、ごめんな。暑かったろう?」
   両腕で僕の体を抱きかかえると、パパは僕を部屋の中へ運びました。
   そのとき僕は、自分の時間が、ゆっくり、ゆっくり、遠くへ消えていくような気がしました。
   フーッ、フーッ、フーッと3回、静かに息をしたら・・・、そのまま僕の時間は止まり、
   もう動くことはありませんでした。
   「ベーッ!!」
   パパの泣き叫ぶような声が、ずっと向こうの方から聞こえてきました。

   それからしばらくの間、僕のうちではセント・バーナードのいない暮らしが続きました。
   おばあちゃんが重い病気にかかったのです。
   手も足も口も、体中が少しずつ動かなくなっていく病気でした。
   僕の大好きだったおばあちゃん、広瀬川、泉ヶ岳、蔵王、
   いろんな所へ一緒に遊びに行ったのに・・・。
   「3代目のベーと早く暮らしたい。」
   でも、今セント・バーナードが新しく家族に加わっても、おばあちゃんの看病が
   まず大事だから、面倒を見切れないかもしれない。我慢しよう。

   そして去年、僕と同じように、おばあちゃんの時間も静かに止まりました。
   おばあちゃんが遠くへ旅立ってからの忙しい日が過ぎて、ようやくほっとした頃、
   訓練士さんがお店へやって来たのです。
   「いいセント・バーナードがいるけど、見に来ない?」

   まるでヨハンは、その時が来るのを待っていたみたいだね。
   初めて会ったその日に、うちの車に飛び乗ってから、
   毎日、みんなと一緒に車に乗ってお店へやって来ます。

                   今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.57 APR.26. 2002

 元気ですか?
 僕が遠くへ旅立ち、おばあちゃんも旅立ち、
 みんながようやく落ち着いた頃、うちの家族4人の心の中では、
 同じことがささやきを始めました。
 

   「もうそろそろ、次のセント・バーナードが欲しい。」
   あゆちゃんが言います。「早くしないと、わたし大人になっちゃう。」
   そうだよね、そろそろ本気で考えてもいいよね。
   ただ問題は・・・、僕が「とってもいいセント・バーナード」だったってこと!
   「ベーみたいにいい犬は、そう簡単には手に入らないからなぁ。」
   さて、どうしようか?
   「俺、日本のセント・バーナードを新しく飼う気にはならないんだよね。」
   じゃ、どうするの?
   アメリカ? それともヨーロッパ?
   その両方のドッグショーへ何度も足を運んでいる知り合いの方は、こう言います。
   「日本のバーナードは確かにきれいだ。でも、体が小さくて脚力がない。
    ショードッグ(ショーに出すのが目的の犬)として1番見事なのは、アメリカ。
   美しくて、日本よりも体の幅があって、しかもよく走る。
   ヨーロッパは、ショードッグとしてあまりいいとは言えないが、とにかく体が大きいし、
   頭の良さを感じる。
   そして、イタリアはショーの審査の方法がちょっと違う。
   ただいい犬を選ぶのではなく、その場で1頭1頭に審査員がていねいにアドバイスを
   与える。だから審査に時間がかかるんだけど、飼い主はみんなじっと待っている。」
   次のセント・バーナードをどうするか?
   パパとママの話し合いはしばらく続きました。
   「自分達は、プロとしてショードッグが欲しいわけじゃない。
   セント・バーナード本来のあるべき姿を求めて、俺はできれば、スイスの子犬が欲しい。
   店を休んででも、みんなでスイスへ行こう!」
   「それは無理!ヨーロッパから連れて帰る子犬の体への負担も大きい。
   成田での検疫期間も、仙台で仕事をする私達にはハードルが高い。」
   2人の話は、なかなかまとまりません。

   その頃、うちの店ではイタリアのセント・バーナード クラブとのお付き合いが
   始まっていました。
   イタリアから伝わってくるのは、スイスとイタリアの国境近くのサン・ベルナール僧院で
   誕生した、セント・バーナードに対する強い誇り、そして深い愛情です。
   クラブのホームページやクラブマガジンの写真の数々には、
   人とセント・バーナードがごく自然に一体となっている姿があります。
   パパとママは、その姿に心をひかれたようです。
   「スイスから直接子犬を連れて来るのが難しいのなら・・・、
   イタリアのクラブへ頼んでみよう。」
   「頼むって・・・今、子犬がいるよって言われたら、どうするの?」
   「そりゃ、飼うのさ!」
   パパは、イタリアへメールを送りました。
   「私達はイタリアのセント・バーナードが好きだ。そちらの子犬の情報が欲しい。
   生まれたら、写真を見せて。」
   「わかった。今のところいないけど、情報が入ったら連絡するよ。」
   パパは平然とした顔、ママはちょっと心配そうな顔をしていました。
   そんな時、訓練士さんがうちの店へやって来たのです。
   「いいオスのセント・バーナードがいるんだけど、どう?」    

   スイスかイタリアの予定がアイルランドになったけど、ヨハンとは、  
   こうやって出会うことがきっと決まっていたんだと思います。

                   今日はここまで、またね。 
                                 
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.58 MAY.10. 2002
 
 元気ですか?
 4日間続いたお休みも終わって、パパとママは忙しそうに仕事をしています。
 19日はドッグショーデビューだっていうのに、
 ヨハンは退屈そうに寝てばかり。
 練習しなくて大丈夫なのかなぁ。

   お休みの4日間は、うちの家族はのんびりと過ごしました。
   お店のカーテンを洗濯したり、布団をお日様に干したり、
   裏の竹林でタケノコ掘りをしたり・・・、
   夕食にはタケノコの煮付けが出たみたいです。
   家族4人でヨハンのブラッシングもしました。
   冬が終わって暖かくなると、僕達毛の長い「ラフコート」の犬は、表の長い毛の下に
   びっしり生えていた冬毛が抜け落ちます。
   クシで毛並みに沿って下の毛をすいてから、表面に浮いてきた毛をブラシで取ります。
   繰り返しても、繰り返しても、クシにはすぐに毛がたまります。
   スーパーのビニ−ルの買物袋いっぱいにたまる頃には、みんな腰が痛くなって休憩です。
   ヨハンは特に毛の量が多いから、僕の時より大変そうだね。

   お休み最後の日には、ヨハンがいつも散歩している道、そして僕も毎日歩いた道を、
   みんな揃って、リュックにお弁当を詰めてのんびり歩きました。
   「そう言えば、家族全員で西公園から広瀬川に行ったことってないよね。」
   公園は、もみじの濃い緑の葉と、藤の花の大きな房がとってもきれいでした。
   藤棚の脇の階段を下りるとプール、そこからさらに階段を下りると、そこが広瀬川です。
   ひろちゃんは、靴下を脱いで川へザブザブ入って行きました。
   あゆちゃんは、石をこすって黙々と石器作り、
   パパは平らな石を探しては、川に向かって投げ飛ばしています。
   あぁ、昔は僕もよくここへ来て川へ飛び込んだっけ!
   ヨハン、ほら、川だよ!ヨハン?どこにいるんだろう?
   いたいた。そんな木陰へママと逃げ込んで。
   君は今まで、水遊びをしたことがないのかなぁ。

   川で遊んだ後は、大橋を渡って国際センターへ向かいます。
   僕が元気だった頃はこの建物はまだなくて、ここの広場で
   よくドッグショーが開かれていました。
   「さぁ、お昼にしよう。」
   草の上にシートを広げて、みんながおにぎりを食べようとしたら・・・・、
   ヨハンの様子がいつもと違うんです。
   ママが手に持つおにぎりをジーッと見つめて、ジリッ、ジリッと座ったまま迫ってきます。
   こんなヨハンは初めて見ます。
   ママが試しにおにぎりをちぎって差し出すと・・・、夢中で食べてる!
   さらにママに覆いかぶさるようにして、おにぎりを追いかける。
   僕は「ごはん」には興味がなかったし、食べなかったよ。
   そうか、ヨハン。 君、昔の家できっとごはんの食事だったんだね。
   うちへ来てから5ヶ月でずいぶん貫禄がついたけど、以前はどんな食事をしていたんだろう。

   さて、5月19日、日曜日は、いよいよドッグショーです。
   ヨハンに会って下さる方は、仙台港のそばの「夢メッセみやぎ」に
   おいで下さい。
   それでは、当日お会いしましょう!

                       今日はここまで、またね。 
                                 
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.59 MAY.23. 2002

 元気ですか?
  ヨハンのドッグショーへの初挑戦は、1回戦であっけなく終わってしまいました。
 それでも
当日のヨハンの緊張感は相当あったらしく、次の日は、
 ぐったりとひたすら眠っていました。


   僕が初めてショーを経験したのは、生まれて3ヶ月の時でした。
   そんな小さな時から、ルールを守ってリンクを走ったり、審査員に口を開けられて歯を見せたり、
   体のあちこちを触られたり、見られている間はポーズを作ってじっと動かずにいたり、
   それを何度も経験して、やがて当たり前にできるようになっていきます。

   ショーを目指して、ヨハンは脚の筋力をつけるために、自転車に乗ったパパと
   毎日走る練習をしました。
   うちへやって来た12月と比べると、体もだいぶ太ったし、体力もつきました。
   僕と違って、散歩中に知らない人に触られるのが平気なヨハンは、
   ショーで審査員に体を触られても平気だろう、とパパとママは思ったみたいです。
   ところが、僕達にとってはこれが違うんです。
   普段、「かわいい!」と声をかけられるのと、いつもと違う雰囲気の中で、
   じっと待たされ、じっと見られ、知らない人に丹念に体を触られるのは。
   3才のこの日までショーを経験したことのないヨハンは、いったい何をされるのか
   不安になってしまい、腰が引けて座ってしまいました。
   ショードッグはこれではだめなんだ!
   「さぁ、どこからでも見ておくれ。 堂々とした僕の姿を。」
   胸を張って、自信たっぷりに立っていなくちゃ。
   ヨハン、君の課題は、まず経験を積むこと、そして精神力の強さを身につけることだね。

   この日、埼玉県から、昔パパとママと一緒にドッグショーを楽しんでいた方が、
   ヨハンのデビューを見るために駆けつけて下さいました。
   「俺は病気で、もうセント・バーナードを飼えないけどさ。」
   会場に現れたその方は、黒いシャツに金のアクセサリー、蛇皮の靴・・・、ママにはわかりました。
   それがこの方の、僕達に会う日のための心づくしのおしゃれなんだって。
   その黒シャツにズボン、昔ショーでハンドリングしていた時と同じ服装だよね。

   うちのパパとママは、犬の世界のプロではありません。
   なのにどうして、またドッグショーに足を踏み入れたんだろう?
   それはもしかしたら、仕事とは違う、長いお付き合いができる出会いが
   待っているからかもしれません。

                         今日はここまで、またね。 
                                 
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.60 JUN.6. 2002

 元気ですか?
 毎日とにかく暑いですね。
 道路はアスファルトの照り返しが強くて、お腹が地面に近い僕達は、
 歩く時はお腹からもジリジリと暑さが迫ってきます。


   夏が来る前にこう暑くては、毛がフサフサと長いヨハンは、今年は暑さを乗り切るのが
   大変だろうなぁ。
   僕達セント・バーナードは、体が大きい上に元々暑さに弱い。
   だから、他の種類の犬と比べるとあまり長生きはできないんです。
   それでも、少しでも長生きする秘訣のひとつは、湿度の高い日本の暑さをどう乗り切るか、
   にあるかもしれません。
   僕がみんなにさよならをしたのは、9月のとても暑い日でした。
   「あの日の暑さにもっと気を付けていれば、ベーはもうちょっと長生きできたんじゃないのか。
   いずれまもなく寿命だったとしても、あの年は越せたんじゃないのか・・・。」
   パパとママの心の中には、いつまでもそんな思いが残ったみたいです。
   でも、僕が14歳8ヶ月まで生きた、と聞くと、セント・バーナードを知っている方は皆驚きます。
   「ほんとにそんなに長生きしたんですか?」
   僕が長生きをすることができたのは、まず、若い時にとにかく足腰を鍛えたからだと思います。
   パパと自転車で長い距離を走り、毎日歩き、休みの日には野山を駆け回る。
   そうやって頑丈になった後ろ足は、年を取っても簡単には衰えません。
   もうひとつ、食事を食べ過ぎず、太らないように注意しました。
   (本当は、僕はたくさん食べたかったんだけどね。)
   太ってくると、重い体を支えるために大切な足が弱ってしまいます。
   自分の足で歩けなくなったら、目に見えて老いが進みます。

   そして、うちの「夏・乗り切り作戦」の決め手は、1代目ベーから受け継いでいる
   ”全身丸裸バリカンカット”、これです!
   恥ずかしい、なんて言ってられません。
   長生きするためには、暑い夏の間笑われたって平気さ。
   涼しくなる秋頃には、ちょうどまた毛が伸びてきて、元の姿に戻れるんだから。

   昨日、ヨハンは朝から店にいませんでした。
   1日の仕事が終わり、店を閉めてから、みんなで訓練所へ向かいました。
   おや? シーンとした校庭に1頭だけつながれているのは誰だろう?
   見かけない顔だね。セント・バーナードに似てるけど・・・、あ〜!!
   ハッハッハッー! ヨハン、君もとうとうやられたね、その格好!
   どうだい、重い毛皮を脱いだ気分は? 
   なんか、落ち着かない? でも、暑さでハァハァしなくて楽だろ?
   さぁ、君の散歩が楽しみだな〜。
   しばらくは誰も、「可愛い!」なんて言ってくれないよ。

   文字通り「すっきり」したヨハン、夕べは外のコンクリートの上で寝るのは
   冷えるらしく、久しぶりに自分の部屋の中で高いびきをかいて眠っていました。

                   今日はここまで、またね。 
                                 
Beethoven