ベーからの手紙      
  No.41  OCT.23. 2001


 元気ですか?
 秋はドッグショーシーズン、東京・京都・広島・北九州・・・、
 休日ごとに、あちこちでショーが開かれています。


   セント・バーナードだけのドッグショーには、日本中から何十頭ものバーナード犬が
   集まってきます。
   ペットショップの人や子犬を生ませているブリーダー(繁殖者)、ショーで犬をリード(紐)で
   引いて走らせるのが仕事のハンドラー(プロは衣装もかっこよくきめています。)、
   そして、パパやママみたいに好きだから出場する人、人間もいろんな人が参加します。
   ママが、1代目のベーを自分でハンドリングしてショーデビューしたのは青森でした。
   ドッグショーのマナーもルールも何も知らなかったママは、夏用の白いヒールサンダルで
   リンクに登場しました。
   審査員に「ターンして」「止まって」と言われても、自分が何をすればいいのかわからない。
   ベーの体を丹念に触ってチェックされている時は、神経質な彼女が怒り出さないか
   ハラハラしたって。
   その時の審査員の方に、ママは後で言われたそうです。
   「あんたはあの時、サンダルでパタパタ走ってなぁ。」

   僕が、たくさんのセント・バーナードの中で1番、という大きな賞をいただいたのは、
   「F C I 東京インターナショナルショー」という大きなドッグショーでした。
   大勢のプロに混じって、パパと僕は一緒にリンクを走りました。
   後ろ足を引いてポーズを作り、審査員がどの犬を選ぼうかと行ったり来たりするのを
   じっと待っているとドキドキします。
   年齢ごとの審査の次は、それぞれのクラスの代表による審査、チャンピオン犬との
   対決。そして、オスとメスの代表の最終審査。
   プロの人達の気迫に負けそうになりながらも、僕はいつになく燃えました。
   それでも、「ハイ!」と審査員が僕を指して優勝のロゼットを差し出した時は、
   すぐには信じられませんでした。

   僕の優勝は、一緒に出場した人達からは喜んでもらえなかったみたいです。
   「最初からバーナードを勉強し直さないとな!」という声や、不満の声が
   回りから聞こえて来ました。
   そんな中でただ1人、「おめでとう」と手を差し出してくれた出場者は、
   青森で1代目ベーの審査をした方でした。

   残念ながら、この日の僕の名誉の記念写真は1枚もなし。
   パパもママも2人共興奮しちゃって、撮るのをすっかり忘れたんだって。

                   今日はここまで、またね。 
                              
Beethoven
         『青森のドッグショー』
       『仙台の動物フェスティバル』
ベーからの手紙      
  No.42 NOV.2. 2001
 元気ですか?
 このところお店に、国や仙台市からの「事業所調査」というのや、
 「事業所アンケート」とかいうのがいくつか来たみたいです。
 その中に、こんな質問があったそうです。
 「移転をしましたか?」 ママは、「はい」に○を付けました。
 「現在地での営業は何年になりますか?」
          4年目だから「1〜5年以内」の項目に○を。

   2度の移転を思い出します。前の店と、前の前の店のことを。
   19年前にパパとママが初めてお店を出したのは、ここからすぐそこ、
   交差点の角の、今はホテルの駐車場になっている所でした。
   1代目のベーは、死ぬ前に1度だけお店に来たことがあるそうです。
   世の中が「バブル」とか言われていた頃、建物の持ち主が変わりました。
   同じ建物の中の他の店には、見るからにうさんくさい人達が出入りを
   するようになりました。
   「営業をやめて店を出て行くように。」と求められてからは、
   (これを「立ち退き」というそうです。)僕の散歩は必ずパパが付き添いました。
   もしもその人達にわざとけしかけられても、僕がケンカをしないように、って。
   休日も、お店に何事もないかどうかを必ず確かめに行きました。
   それでも、お客様と顔を合わせる時はいつも通りの笑顔でね。
   なるべく近くで新しい店を、といろいろ捜したけれど、どうしても見つからない。
   仕方なく、少し離れて坂を下りた街へ引っ越しました。

   僕の散歩コースも今までと変わりました。
   イチョウの木の下を通って、野球場やテニスコートのそばの公園へ、
   時々川沿いの道へも出ました。
   新しい街にようやく慣れた頃、近所の人からこう言われたパパとママは、
   思わず大きな声を出しました。
   「ここは、新しい道路の建設のためにもうすぐ立ち退きになるんですよ。」
   「ええ?!」
   僕達家族の前には、また大きな壁が立ちはだかってしまいました。
   店の仕事を続けながら、もう1度新しい場所捜しが始まりました。
   パパとママは結構大変だったみたいです。
   僕はじっと見ているだけで、なんの力にもなれなかったけれど。
   「1番腹が立つのは、自分達が、何も知らずにネギしょってのこのこやって来た
   まぬけなカモだった、という事実さ!」
   パパは腹立たしそうに言ってました。

   そして再び引越し。
   パパは、このことについて裁判の準備を進めていました。
   でも、実際に裁判が始まるまでには、とても長い時間がかかりました。
   今のお店へ来て4年目ですが、まだ裁判は終わっていません。
   厳しい弁護士さんに鍛えられながら、1ヶ月半から2ヶ月に1回、
   パパは裁判所に通っています。

   「会社を辞めて、自分もコーヒーの店を出したい。
   修行をさせてもらえませんか?」
   こんな電話がかかってくると、パパは即座に答えます。
   「おやめなさい。苦労が多過ぎます。」

                   今日はここまで、またね。 
                           
Beethoven
          『最初のお店』
         『となりは野球場』
ベーからの手紙      
  No.43  NOV.13. 2001
 元気ですか?
 世界のセント・バーナードクラブのホームページを見ていると、
 お国柄が出ていておもしろいです。
 スイスは、やっぱり「セント・バーナードはスイスの犬」という
 誇りを感じます。
 アメリカは、ショードッグとして1番見事だな、と思います。
 イタリアの人達は、アルプスのサン・ベルナール峠に
          強い愛着を持っているんですね。

   朝、店へ着いていつものようにメールをチェックしていたパパは、イタリアからの挨拶を
   見つけました。
   「AISBに記事を書いてもらえないか?」
   AISBって、なんの組織だろう?クリックしてみると、画面に現れたのは
   セント・バーナード。イタリアのクラブか!
   「日本のセント・バーナードを特集したいんだ。」
   クラブマガジンの編集者、ゼネーラさんの明るい文面につられて、パパは、
   「ブリーダー(繁殖者)じゃないけどかまわない?バーナードを愛しているだけの
   人間だけど。」
   すぐに、長い返事がイタリアから届きました。
   「私もブリーダーじゃないよ。大切なのは、バーナードへの情熱さ。
   『世界のセント・バーナード』というタイトルで、これまでに、ドイツ・アメリカ・ブラジル・
   ノルウェーetcを紹介してきた。次は日本。」
   パパは、ここまでは安心して読んでいました。問題なのは、この先。
   「日本のセント・バーナードの特徴・繁殖・病気・子犬の値段について書いて欲しい。
   それから、そちらのクラブの組織・バッヂなどのグッズ・マガジンの紹介を頼む。」
   ああ、これでは残念だけどお手上げだ。
   だって、今、仙台にはセント・バーナードクラブはないんだもの。
   札幌でクラブを運営し、繁殖をしている方に、パパは電話をかけて頼んでみました。
   「いいですよ。」
   アメリカのドッグショーにも何度も足を運び、熱心にセント・バーナードを研究している
   その方は、快く執筆を引き受けて下さいました。よかった・・・。
   ゼネーラさんは、とても喜んでくれました。
   「言葉の問題だろうね。他の日本人からの返事はゼロで困っていたんだ。」

   「それともう1つ、中国で食肉用にバーナード犬が飼育されていることについての
   意見も欲しい。」
   そう、これは最近のつらいニュースです。僕の仲間達が、吊り下げられて、
   生きたまま皮をはがされているんです。
   原稿の締め切りは来年の1月15日。記事が発行されるのは春ぐらいかな?

                   今日はここまで、またね。 

                          
Beethoven

『日本のBeethoven』

『イタリアのBeethoven』
ベーからの手紙      
  No.44 NOV.26. 2001
 元気ですか?
 10月に開かれた「仙台ショーウィンドーコンテスト」の審査員の
 講評がお店に届きました。
 「外にもコーヒーの香りがしていた。私も中に入ってコーヒーを
 買っちゃいました。」「キャラクターの犬のマークが可愛い。」
 こういうコメントもありました。
 「こんな裏通りに店があることがわかった。」

   昔からこの通りに住んでいる方は、ここを「大町通り」と呼んでいます。
   「お城からまっすぐ続く道でね、藩政時代は、ここが1番にぎやかな通りだったんだよ。」
   青葉城の隅櫓(すみやぐら)から一直線にのびる道、でも、今はそう、裏通りです。
   ケヤキ並木が見事な青葉通りができて、そこが表の通りになっています。
   僕が初めてこの大町通りにやって来た頃は、道の両側にいろんなお店がありました。
   西公園から通りへ入ると、床屋さん、おそば屋さんにラーメン屋さん、
   角には小さなスーパーマーケットが2軒並んでいたっけ。
   そちら側には酒屋があって、洋服屋さん、美容院、クリーニング店に電気店etc。
   外科医院の看板が見えたら、ほら、その向い側に「ベートーベン」があったんだ。
   焙煎機の煙突が伸びてるでしょ。

   でも、何年ぶりかにこの通りへ戻ってきたら、まるで浦島太郎になった気分!
   すっかり変わっちゃってる。
   建物が取り壊されて駐車場になっている所が何ヵ所もあります。
   中はがらんどうなのに、お化け屋敷みたいに残っている建物がいくつも・・・。
   あんなに並んでいたお店はすっかり姿を消してしまいました。
   角のスーパーマーケットはコンビニになったし、美容院はお店の名前が
   3回も替わったし・・、なつかしいお店はほんの数軒だけです。

   パパが創るコーヒー豆に興味がない人にとっては、ここはほんとに裏通りでしょうね。
   だけど、「山に行った帰りだから。」と、きのこや山菜をどっさり置いていって下さる方、
   釣り上げた魚を急いで届けて下さる方、ご自分で焼いたパンやケーキをそっと
   手渡して下さる方、「温室で育てたカトレアです。コロンビアコーヒーのポスターに
   カトレアが出てたでしょ。」と、見事なカトレアの花を何本も差し出して下さる方、
   海外に行くとコーヒー豆をお土産に買ってきて下さる方達。
   そんな方達が、この通りの、うちの店に足を運んで下さいます。

   変わっていくことは大事ですよね。
   変わらずにいることも、大事だと思うし、難しいんじゃないかと思います。

                   今日はここまで、またね。 

                          
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.45 DEC.6. 2001

 元気ですか?
 この頃のパパは、悩みながら時々東京へ電話をかけています。
 コーヒーの生豆の取引をしている会社へです。
 「生豆の状態に納得がいかない。」


   コーヒーの生豆には相場というのがあって、値段が上がったり下がったり
   するんですって。
   収穫の前に霜が降りたり、南の国の大嵐がやって来ると、農園の豆は全滅。
   そんな時は、豆がぎっしり詰まった麻袋を山積みにしたトラックが
   強盗に襲われることがある位、生豆の値段は高くなるそうです。
   生産地の港で働いている人達が仕事をするのをストップしてストライキしちゃうと、
   船で豆が届かなくなります。
   そういう時は、日本の港の倉庫に積まれている生豆が頼みの綱です。

   反対に豊作が続くと、生豆の相場は下がるそうです。
   値段が下がると、コーヒー農園の人達はやる気をなくしちゃうみたい。
   コーヒーの木の手入れをしなくなったり、土の面倒をみなくなったり、
   まだ熟していない豆や悪い豆も一緒に収穫しちゃったり、
   結局、豆の質が悪くなっていくんですって。
   さぁ、こうなると、うちの店にとっては困ったことになります。
   パパが注文を出している特別の品種の生豆、
   あまり大量に作られていない生豆は、買う人が少ないから値段は下がらない。
   でも、木や土の手入れがされなくなるのは農園の他の木と同じ。
   だから届いた麻袋のひもを解いてみると、品質が落ちていてがっかりすることが
   あるみたいです。
   パパからの電話を受けた商社の方は、豆の品質に対するパパのこだわりや
   パパの性格をよ〜くわかっていて下さって、
   あちこちから情報を集めて下さいました。
   「残念ながら、これ以上の品は今はありません。別な麻袋を送ったとしても、
   それがいい、という保証もありません。」
   「・・・わかりました。これを使わせていただきます。」

   でも、パパは機嫌のいい顔も見せています。
   「12月のブレンド『第九番』」の配合にブラジルの特別な品を使ってみたら、
   これが成功!甘味が出てるんだって。

                   今日はここまで、またね。 

                          
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.46 DEC.20. 2001

 元気ですか?
 仙台もとうとう雪が積もりました。
 雪の季節になると、いつもよりも朝早く家を出ます。
 お店の前の雪かきをしなくちゃいけませんから。
 パパは、焙煎を始める前にもう汗びっしょりです。

   寒い冬は、暑さでぐったりの季節よりおなかが空きます。
   でもパパとママは、「長生きするためには粗食が1番」とか言って、食事の量を
   少し増やしてくれるだけ。だから、僕のおなかはいつもペコペコ。
   そんな僕にとって禁断の場所は、お店の2階の子供部屋です。
   あゆちゃんとひろちゃんが学校から帰ってきて食べるおやつが、そこにはいつも
   用意されていました。でも、僕は立入禁止。畳の部屋だからです。
   「ただいまぁ!」と2人が元気に帰ってきます。
   「わーい、ここのパン大好き。」 ホワ〜ンといい匂い。
   僕は部屋の入口に伏せて、上がりかまちに顎(あご)を乗せ、上目使いにじっと
   おやつを見つめます。
   「なに、ベー?欲しいの?」・・・わかってるくせに。

   お店の営業が終わって後片付けが済むと、階段を登ってママが僕を迎えにきます。
   「ベー、帰ろう。」
   僕は聞き耳を立てました。まだママは来ない。2階にいるのは僕だけ。
   大丈夫だ、やるなら今だ。
   むっくり起き上がると、薄暗い畳の部屋に足を踏み入れました。
   柔らかい感触を、いい匂いのする方へ進んで行きました。
   これだ。丁度僕の頭がすっぽり入る大きさのごみ箱からほんのりと甘い匂いが・・。
   グッと顔を突っ込んだその時、何か気配を感じたんです。
   ハッとして顔を上げると、暗がりの中に、ああ、ママの姿が!
   「ベー! そこで何やってんの?!」
   僕は、わき目もふらずに猛烈な勢いでママの脇をすり抜けた。
   そして、隣の倉庫の1番奥の狭い所へ逃げ込んだ。
   「出てきなさい!」
   いやだ、行くもんか。僕は、伏せて前足の間に頭をうずめた。
   ママは、力をこめて僕の体を引っ張り出そうとしたけれど、僕はもっと踏ん張った。
   するとママはぼくの両耳をつかんで思いっきり引っ張った。
   ヒーッ!! 出ます、出るからそれは勘弁して。
      それからどうなったかって?
      うーん、ママは鬼みたいな顔をしてたからねぇ・・・。

   でも、1月2日だけは特別な日。
   なんと、ロースハムに焼き豚が並んでいるじゃないか。
   「ベー、お誕生日おめでとう!!」

                   今日はここまで、またね。 

   追伸  実は、皆さんにご報告しなくちゃならないことがあるんですが、
        この次の、今年最後の手紙できっとお話しますね。
                                   
Beethoven
べーからの手紙      
  No.47 DEC.30. 2001

 元気ですか?
 今日は、皆さんにご報告があります。
 ほんとにうちのパパとママは、思い立ったらすぐに決めちゃうんだから。
 僕もさすがにびっくりしましたね。


   それは突然の出来事でした。
   12月13日、木曜日。1代目のベーと僕が卒業した犬の学校の訓練士さんが、
   うちの店にやって来ました。
   「いいオスのセント・バーナードがいるんだけど、どう?
    事情があって前の家庭で飼えなくなったんだ。性格もいいし、見に来ない?」
   「年は?」 「2才。」
   「2才?私達は子犬からしか飼うつもりはありませんよ。」

    そして3日後、16日・日曜日の午前中。
   「どうする?」とパパ。 「まぁ、見に行くだけならいいんじゃない。」とママ。
   こうしてうちの家族4人は、揃って訓練所へ出掛けて行きました。
   校庭につながれていたバーナード犬は、期待に満ちた瞳でこっちを見ていました。
   初対面・・・、しばらくの間、4人で彼を抱きしめたり、じゃれ合ったりしました。
   だけど、ほんの短い時間で訓練所から帰りました。
   「いい子だね。」 「バイバイ。」

   その日の夕方。
   「どうする?」とパパ。 「・・・引き取りましょう。」とママ。
   なんの用意もしていないのに!全く突然決めるんだから!
   こうしてうちの家族4人は、再び訓練所を訪れることになりました。
   彼は、目を丸くしてうちの車に飛び乗ってきました。
   「君は、今日からうちの家族だよ。」

   ま、僕から見てもなかなかハンサムな奴だと思います。
   彼の名前は、「ヨハン」と決まりました。
   作曲家ベートーベンのお父さんの名前です。
   つまり、いつの日かこのヨハンが父親になれば、生まれて来た子犬が
   3代目のベートーベンになる、ということですね。

   こういうわけで1年最後の2週間、僕達はとても忙しい日々を送りました。
   大町通りから西公園を散歩しているセント・バーナードを見かけたら、
   それがヨハンです。声をかけてやって下さい。

                         今日はここまで、また来年ね。 
                                   
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.48 JAN.10. 2002

 元気ですか?
 ヨハンが突然家族に加わってからのてんやわんやも、
 ようやく落ち着いてきました。
 1日3回の散歩、1日2回の食事、毎日の家と店との往復、
 休日の過ごし方・・、ヨハンもだいぶ慣れたみたいです。

   だいぶ慣れてきたみたいだから・・・、皆さんにはお話しますね。
   ヨハンがうちにやって来た12月16日の夜、実は一時彼が行方不明になってしまったんです。
   暗くなってから家に着いて、大急ぎで4人でヨハンの部屋の掃除をして、
   「ここがおまえの部屋だよ。」って中に案内して、そして、パパが外の扉の鍵を掛けました。
   家族4人は一旦家の中に入り、ヨハンの食器に水を入れてパパがもう一度外へ出ました。
   パパは、きちんと閉まっている扉の鍵を開けました。
   「妙に静かだな。・・・ヨハン、・・・ヨハン?・・・ヨハ〜ン!!」
   パパの絶叫に他の3人は外へ飛び出しました。
   「ヨハンがいない!」 「えー?! どうやって?」 「懐中電灯!」
   一斉に道路の方へ駆け出しました。もし車にはねられでもしたら・・・・。
   4人とも青ざめて叫びました。 「ヨハ〜ン!!」
   真暗な林の中に呼び声が響きました。懐中電灯で林の奥を照らし出しました。
   「いた!」と、向こうからパパの声。
   息を切らして駆けつけると、しっぽを振ってご機嫌のヨハンが不思議そうな顔をしています。
   「家の脇でおしっこしてた。」 
   やれやれ、まずはよかった。

   まるで魔術師みたいに、鍵の掛かった扉から一体どうやってヨハンは外へ出たのでしょう?
   部屋を囲んでいるフェンスの支柱と扉の間には、少し隙間があります。
   頭の大きな僕は、そこに額を押し当てても絶対に外へは出られません。
   ヨハンは、僕よりもひと回り小さいんです。
   ヨハンの頭は、その隙間をするりと抜けてしまったんですね。
   パパは、内側からがっちりとガードを付けました。

   これから、まだまだいろんなことが起こるだろうなぁ。
   今度の連休に、パパは扉の修理をする予定です。

                           今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.49 JAN.22. 2002

 元気ですか?
 ヨハンは今、寝言を言いながらぐっすり寝ています。
 「ウォ、ウォウォン!・・・フンッ。」
 どんな夢を見てるんだろうねぇ。
 僕の想像では、多分・・・パパに怒られている夢だと思うよ。

   僕達セント・バーナードが散歩していると、「かわいい!」って声をかけられることがあります。
   体が大きくてもかわいい、体が大きくてもおっとりしている、それがセント・バーナード。
   そんなイメージを持っている方が多いみたいですね。
   でも僕達、本気出したら本当は人間より強いですよ。
   もし本気で怒ったら、きっとケンカ相手の犬を負かしちゃうだろうな。
   ただ普段は、そんな自分の力をしまっておくだけ。
   だけど、たとえ僕達の体が大きくても、うちのパパは本当に恐いと思います。
   僕は身にしみてわかっています。
   うちに来てまもないヨハンは、気の毒に、まだそれがよくわからなかったんだ。

   日曜日、ヨハンは骨の形をした大きなおやつをもらいました。
   前に1度これを食べた時、隣にひろちゃんが座っただけでヨハンは唸りました。
   「だめ!これは僕の物だ!」
   その声を聞きつけたパパがすぐに飛んできて、彼はおやつを取り上げられ、
   厳しく叱られました。 「ごめんなさい・・・。」
   ヨハンは、伏せて前足で頭を抱えていたっけ。
   これでもうわかったと思ったのになぁ。
   このおやつ、前足で縦にはさんでかじると、すごく具合がいいんです。
   足ではさみ込むコツがよくつかめないヨハンを見て、パパが手を出しました。
   ・・・その途端、「ウー、ワワン!!」 ヨハンが飛び上がってパパに吠えかかった!
   ああ、だめだよ、そんなことしちゃ!
   パパの顔つきが変わった。次の瞬間、自分のやったことがわかったヨハンは、
   慌てて自分の部屋の中へ逃げ込んだ。パパは追いかけた。
   「なにやってるんだ!!」 「ヒャイーン!」
   だめ、気の毒で見ていられない。 でもヨハン、・・・君が悪いよ。

   嵐が去って、パパはヨハンを抱きしめ、やさしく体をなでました。
   まだ彼が緊張しているのが伝わってきます。
   ヨハンは、前の家庭ではどうも甘やかされて育ったみたいですね。
   2才を過ぎてから覚えなくちゃいけないことがたくさんあって大変だろうけど、
   大丈夫、君ならできる。
   だって、パパがこう言っているのが聞こえたんだから!
   「ヨハンはベーより頭がいいな。」
 
                   今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.50 FEB.2. 2002

 元気ですか?
 お店にいらしたお客様から、この頃こう聞かれます。
 「ヨハン?え、今度はベートーベンじゃないんですか?」
 散歩から帰ってきたヨハンを店の前で見つけた外国の女の方も
 " Is he Beethoven? "

   ヨハンがうちの家族になった日、ママは、本当は「名前はベートーベン」と
   思っていたみたいです。
   でも、パパがはっきりと言いました。
   「ベートーベンとは、つけない。だめだよ。」
   ヨハンには悪いけど、僕はそっと胸を張りました。
   「これから彼を愛していくし、本当に大切にする。でも、ベーじゃない。」
   こういう時のパパは、周りが何を言っても耳を貸しません。
   「『3代目のベートーベン』は、自分達で子犬から育てる犬に継がせる。
   この子には、作曲家ベートーベンの父親の名前をつける。ヨハンだ。
   もしヨハンが将来子供を作ることができれば、その時彼は3代目ベーの父親になる。
   店を開いてすぐに旅立った1代目のベー。
   一緒に店を作り上げ、店の成長を見守ってくれた2代目のベー。
   2代のベートーベンへの想いは・・・、わかるだろ?」

   1代目のベーと僕が過ごした部屋に、今ヨハンがいる。
   僕達が使った食器で、ヨハンが食事をしている。
   僕の革の引き綱で、ヨハンが散歩をする。薄くマジックで「ベートーベン」の文字が見える。
   たくさんのバスタオル、スリッカー(ハリガネのブラシ)、くし・・・・・。
   みんな僕の思い出の品だ。 ヨハン、全部 君に譲るよ。
   家族のみんなも、今は君のものだ。
   パパはああ言ったけど、きっと君を心から愛するだろうし、絶対に君を守り続ける。

   でも、気をつけて。 パパは怒らせたら本当に恐いから。
      ・・・もう、わかってるよね?

 
                         今日はここまで、またね。 
                                   
Beethoven