ベーからの手紙      
  No.31 JUL.4. 2001

 元気ですか? 
 雨が降ったり、陽が照りつけたり、この頃の天気は忙しいですね。
 先週、「会社のホームページの『仙台のお店紹介』でベートーベンを
 取り上げたい。」と、取材の申し込みがありました。


   取材にやって来た女の人にうちの店の説明をしたり、コーヒーの話をしていたら、
   彼女からこんな質問を受けました。
   「ホームページに映画『ベートーベン』とのことが書いてありますが、あれは本当のこと
   なんですか?」(わからない方は「ベートーベン」のページを読んでね。)
   ・・・僕は嘘は書かないよ。
   僕が手紙で書いていることは、全部本当のことです。

   彼は(そのアメリカのジャズピアニストは)、とってもいい人でした。
   子供が好きで、犬が好きで、僕と挨拶する時は、「Oh!Beethoven!?」と
   ニコニコしてました。
   その夜の大きなホールでの彼のコンサートにパパとママを招待してくれて、
   楽屋でメンバーのみんなにも会えました。
   彼は、パパがお店で使っているのと同じ大きなダッチコーヒーの器具を
   アメリカへ持って行くことにしました。
   「前から、これをやってみたかったんだ。」
   「ガラスの部品を壊したら、日本から取り寄せるのが大変。大切に使って下さいね。」
   「OK!」
   帰国後、アメリカから手紙が届きました。
   「ダッチコーヒーは、レコーディングスタジオに置いたよ。ミュージシャン達は
   『What is that????』 僕は日本の、仙台でのことをみんなに話して聞かせる。
   そして、『ベートーベンブレンド』のダッチを飲ませる。
   すると、みんな感動するんだ。6時間待った後にね。」
   東京からは、「彼が着ていたのと同じ『Beethoven』のトレーナーが欲しい。」と
   彼の大ファンがやって来ました。
   彼は、「めったに人に教えないけど、これから手紙はオフィスじゃなくて、こちらへ。」と
   自宅の住所を教えてくれました。
   でも、映画「ベートーベン」以来、残念ながら音信不通になってしまいました。

   これまで、新聞や雑誌、いろんな取材を受けたことがあるけど、こんな人もいました。
   「セント・バーナードを飼ったのは、やっぱり『ハイジ』の影響ですか?」
   ママはちゃんと説明したのに、出来上がった記事のタイトルはこうでした。
   「『アルプスの少女ハイジ』に憧れて」

                              今日はここまで、またね。
                                                 
Beethoven
『国際犬舎名の登録証』                      


ベーからの手紙      
  No.32 JUL.13. 2001

 元気ですか? 
 この間、朝早くからヘリコプターがすぐ上を飛び回り、何があるのかと
 ちょっと心配になりました。なんでも、ある裁判を見るために、
 1400人位の人が店の近くの野球場のグラウンドに並んだんですって。
 そういえば、小学校の隣にある裁判所にはテントがいくつも並んでいたっけ。

   セント・バーナードが主人公のアメリカの映画「ベートーベン」が公開された頃、
   うちの店では、こんな質問をしょっちゅう受けるようになりました。
   「キャラクターは、あの映画からとったんですか?」
   僕が散歩をしていると、「名前は?ベートーベン?ああ、あの映画からつけたのね。」
   パパとママは「 『セント・バーナードのベートーベン』をトレードマークにして商売を
   している以上、万一問題が起きる前に、はっきりと主張をしておいた方がいいだろう。」
   と話し合いました。
   まず、アメリカの映画界や芸能界とのいろいろな問題の橋渡しを専門にしている
   東京の事務所に連絡を取りました。
   ところが、数ヶ月経ってもそこからは何の音沙汰もなし。
   パパとママは、その事務所が映画会社に送った文書を手に入れました。
   「仙台というのは、東京からはるか北へ行った小さな街だ。映画が成功したので、
   こんなことを言ってきたのだろう。」
   相手にする必要はない、というニュアンスがいっぱいの内容でした。
   さぁ、どうする?これでおしまいにする?
   僕達は、東京の裁判所の門をくぐりました。
   映画会社の弁護団は(そう、相手は「弁護団」でした。)、「あなた達の存在は認めない。
   仙台でも全く周知されていない。」という主張から始めてきました。
   (でも、判事さんが裁判所の職員の方々に尋ねてみたら、「知っている」「買ったことがある」
   という返事が返ってきたんですって。)
   うちの新聞広告が広告賞を受賞したこともあって、「 『ベートーベン』という店と
   キャラクターの存在」を無事「認めて」いただけました。
   裁判所へ何度も足を運ぶうちに、パパは話の内容に腹が立つこともあったそうだけど、
   弁護士さんのひとことで気が静まったって。
   「これが裁判ですから・・・。」

   裁判は長期間、時間がかかるし、腹を立てないように忍耐も必要かもしれないね。
   でも、はっきりと手を挙げなければいけない時って、きっと誰にでもあるんじゃないかな?

                              今日はここまで、またね。
                                                 
Beethoven

ベーからの手紙      
  No.33 JUL.24. 2001 
 元気ですか?
 皆さんは、セント・バーナードって言ったらどんな犬を思い浮かべますか?
 体が大きくて、毛がフサフサして、体の色は白と茶色、顔は真中が白で
 左右はこげ茶。そして性格は、おっとり、どっしり・・・かな?
 でも、日本人って言ったって姿や性格が人によっていろいろなのと同じで、
 セント・バーナードにもいろんな仲間がいます。

   下の写真の左側、僕のように毛がフサフサしているのはラフコート、
   右の写真のように毛が短い仲間はスムースと呼ばれます。
   ラフはシャンプーや手入れが大変だし、こんなに暑い夏は毛皮を脱いで裸になりたい!
   スムースは、体の線をフサフサの毛でカバーすることができないし、
   セント・バーナードのイメージと違う、なんて言われることもあります。
   それに、体の色や模様は、僕達それぞれ違います。
   茶色でも、薄茶もあれば、こげ茶もある。
   1代目ベーのように、首の回りだけ白くて体全体が茶色いのもいるし、、
   白地に大きな丸い茶色がいくつも、という模様もあります。
   顔もみんな違うのに、人間が決めた「セント・バーナードの顔」の基本というのがあって、
   それからあまりにもはずれちゃうと、血統書を出さない、つまりセント・バーナードと
   認めない、ということもあります。
   昔は、貰い手がない子犬を外国に送ってしまうこともあったみたいだけど・・・。
   下の写真の2頭は、ママと一緒に飛行機に乗って、名古屋のドッグショーに
   出かけたことがあります。飛行機では、暗くて音がうるさい貨物室の中。
   ぐったりして空港に着いてから、1頭はキャンキャンと大人気ない声を出してウロウロ。
   もう1頭はじっと我慢してその声を聞いていたけれど、やがて、にらみをきかせて
   ひと声、「グワン!」。
   ちぢみ上がった相手は、体を小さく丸めていたって。
   性格だって、人間とおんなじでいろいろさ。

   さて、この2頭のうちの片方が僕の父さん。怒鳴られてしまったのは、どっちだと思う?

                              今日はここまで、またね。
                                                 
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.34 AUG.7. 2001

 元気ですか?
 夏休みになって、離れて暮らしている子供さんが久しぶりに帰ってきている、
 という方もいるでしょうね。
 もし、あなたの子供さんが寄宿舎で生活することになったら、寂しいですか?


   僕達2代のベートーベンは、それぞれ訓練所の寄宿舎で5ヶ月間を過ごしました。
   1代目のベーは1才を過ぎてから、パパとママがお手上げの状態になって、訓練所を
   訪ねたそうです。
   散歩の途中で他の犬を見かけると咄嗟に飛び出そうとする、その力の強いこと!
   ママは力ではかなわなくて、引き綱を腕に巻きつけ、自分が電柱に抱きついて
   彼女を止めたこともあったって。
   つながれた訓練所の校庭から、パパとママがいる2階の応接間の窓をじっと見つめるベー。
   「学校生活に慣れさせるために、しばらくは面会に来ないでください。」と言われたのに、
   次の日曜には2人はもう我慢できなくなって、「離れた所から、そっとベーを見るだけで
   いいですから。」と頼みこんでいました。

   一方の僕は、訓練所で生まれた頃から、入学の日取りがだいたい決まっていました。
   生後5ヶ月で学校に入って行くと、「おう、戻ってきたな。」と仲良しの訓練士さん。
   大好きな遊び仲間達(たまにケンカもするけど)、食べ慣れた給食・・・、楽しい学校生活さ。
   休日にドッグショーに出ることになって、ピカピカに体を磨き上げて、訓練士さんと
   会場へ向いました。
   そこでは、男の人と女の人、2人が僕を待っていました。
   なんか変な感じがしたんだけど、「こんにちは」と挨拶をしておきました。
   2人は、僕の様子を見て妙な顔をしていました。
   しばらくして、男の人が車に乗ってエンジンをかけた・・ドゥロロロ・・・ややっ!
   こりゃうちの車じゃないか!ああっ、思い出した、パパとママだ!
   僕は夢中になって2人に飛びつきました。
   「なんだよ、薄情な犬だな!車の音で気付くのか?」

   でもね、ママに赤ちゃんが生まれることになって、大人になってからまた寄宿舎生活を
   送った時は・・、寂しかったなぁ。早く家に帰りたかった。
   家に戻ってからも、僕が中心だった生活から、赤ちゃんが主人公に変わっちゃったし。
   ちょっとすねた時期もあったんだよ。

                              今日はここまで、またね。
                                                 
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.35  AUG.21. 2001

 元気ですか?
 親戚の人に頼まれて、ママが牛タンを買いに行きました。
 仙台のお土産になってるんだってね。
 僕達、訓練所の給食で毎日 牛タン定食を食べてましたよ。


   牛タン屋さんでは、大きな牛の舌を調理する前に皮をむきます。
   たくさんの人が食べるから、皮だけでもどっさりと山のよう。
   それが僕達のメニューになるんです。
   パン、牛乳、おから、野菜、鶏の頭(ペット用に缶詰でも売ってます)、そして牛タン・・の皮、
   これをミンチにして大きな釜で一緒に煮込みます。
   食べるときは柔らかい流動食。歯ごたえがないのがちょっと残念だけど、栄養満点だから
   僕達みんなあっという間にたいらげて、食器の底までペロペロなめるんだ。
   学校の食事は冷凍にして「家庭にお持ち帰り」もできたんだけど、年を取ってくると
   栄養価が高過ぎるらしくて、老犬用ドッグフードに変えました。
   もっと体が弱った頃は、動物病院の病食缶詰。
   1代目ベーの時は、パパとママは食事の他におやつもたくさん食べさせたんだって。
   アイスクリームに果物、チーズ、生のお肉も・・・ひゃあ、うらやましい!
   それが彼女を早く死なせてしまった原因のひとつかもしれないって、
   僕には、具合が悪くなった時に鶏のササミを少しだけ、おやつはごくたまにだったんだよ。

   そんなにおやつをもらっても、1代目ベーの1番の好物は、
   畑から採れたてのパリパリの赤かぶと大根。
   僕は、おばあちゃんがくれる硬いバリバリのおせんべいが好きだったなぁ。

                              今日はここまで、またね。
                                                 
Beethoven

ベーからの手紙      
  No.36 SEP.1. 2001

 元気ですか?
 うちのパパは、自分のことをよく「器用貧乏だ」って言います。
 お店のいろんな機械や家の電気製品の修理をして、大工仕事や料理も
 好き。今は、パソコンに向って帳簿をつけています。


   18種類のコーヒー豆が入る大きなガラスのショーケース、うちの店で使っている
   厚いガラスが丸みを帯びたこのケースは、とても古い物です。
   専門の方に「今これを作るのはとても大変。大切にした方がいいよ。」と言われました。
   先週、このショーケースの灯りがゆらゆらとゆらめきました。
   「お、ランプがだめになったか。」パパが何気なくケースをポンとたたいたら・・・、
   その付近からモワモワッと白い煙が出てきたんです。
   「おいおい、なんだよ。」パパは慌ててコンセントを抜きました。
   ケースを開けてみると、煙が出たところは黒く焦げて溶けていました。
   なにしろ古い。部品を届けて下さった会社の方とパパは、一緒に頭をひねりながら
   工具類を次々と出し、電動ドリルをヒュンヒュンうならせ悪戦苦闘。
   恐る恐るコンセントを差し込んでパーッと灯りがついた時は、嬉しかったぁ!

   豆を入れた袋を真空にする包装機、自動的に缶詰を作る機械、豆をやく焙煎機、
   選別をするコンピューター、粉にするためのミル、店にはいろんな種類の機械があります。
   これらがみんな、1度は故障したことがあります。
   豆は毎日用意しなくちゃいけない。でも、機械を作っている会社は東京や静岡・大阪に
   あるから、壊れた時にある程度自分で対応できないとどうにもならない、ってパパは
   言ってます。
   長距離電話をかけた受話器を肩にはさんで、説明を聞きながら修理をしたことも
   ありました。
   生の豆が60kgの麻袋で届いてから、どうしても品質に納得がいかない時は、
   パパは商社の方と交渉して送り返すことがあります。
   1度封を開けた麻袋をきちんと閉じなくちゃいけない。
   その時のためにパパは畳屋さんから大きな針を買ってきて、1針1針縫い直します。
   (今は、麻袋用の針を持っているけどね。)
   自分で店をやっていくためには、器用貧乏も大切なことなのかもね。

   僕の部屋を作ってくれたのもパパです。
   ここだけの話、毎朝洗濯をしているのもパパなんです。

                              今日はここまで、またね。
                                                 
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.37 SEP.13. 2001

 元気ですか?
 さっき、外からお店をのぞいていた男の人がドアを開けて
 こう 聞きました。
 「コーヒーは飲めないんですか?」


   そう、今は飲めないんです。
   時々聞かれるんだけど、今は豆を売るだけのお店です。
   昔(17年前まで)は、180円で、パパが1杯ずつていねいに淹れたコーヒーを
   飲んでいただく場所がありました。
   お昼時はとても忙しかったけれど、時間がゆったりしている時は、パパは
   気の合う方には「どんな風に淹れる?こってり?」
   「新しいブレンドを作ったから飲んでみてよ。」と楽しんでいました。
   一緒にコーヒーを飲みながらいろんな話をして、今でもお付き合いが
   続いている方がたくさんいらっしゃいます。
   「人間って、持って生まれた力には結局かなわないよね。
   私の場合たまたまこの道に入ったんだけれど、豆をやく感性、
   コーヒーのブレンドの味を創り出す感性と、コーヒーを淹れる感性は、
   なぜか持って生まれてきたんだと思う。
   誰に教わったわけでもないけれど、不思議とできる。
   私が淹れたコーヒーを飲むことができる人は、しあわせだと思うよ。」
   ・・・・よく言うよね。
   それなのに、どうしてやめちゃったのかって?
   理由のひとつは、大きな機械が次々と増えて場所がなくなってしまったこと。
   2つ目のわけは、豆を売るのがだんだん忙しくなって、
   パパがコーヒーを淹れる時間の余裕がなくなってきたこと。
   うれしいことに、コーヒー豆が売れるようになると、
   それだけ焙煎と選別に時間がかかるんです。
   うちのパパの性格では、コーヒーを淹れるのも自分で納得しないと
   だめなんじゃないかな。
   そしてもうひとつ、パパがもともとやりたかったのは、コーヒーを
   飲んでいただく店ではなくて、豆を売る店なんですって。

   コーヒーを飲みながら一緒に時間を過ごすことで、いろんな方と
   いいお付き合いができました。僕も仲間に入れてもらいました。
   パパは、いつか年を取ったら、自分が淹れたコーヒーを飲んでいただく場所を
   どこかに作りたいって。でも、自分と気が合う人だけに、だってさ。

                              今日はここまで、またね。
                                         
Beethoven



『ベーからの手紙No.11』の写真も見てね。

ベーからの手紙      
  No.38 SEP.25. 2001

 元気ですか?
 うちの店に来て下さるたくさんの方達、いろんな方との出会いが
 あるけど、同じようにたくさんのお別れもあります。
 今日は、永遠にさよならをした人達のことを話しますね。


   お兄ちゃん達と大学で同じクラスだったA君、彼は山岳部の部員でした。
   夏は、蔵王にある山岳部の山小屋にみんなで泊めてもらいました。
   僕はお兄ちゃん達と一緒なのがすごく嬉しくて、先に立って山道を登り下りし、
   時々みんなを振り向いて待っていました。
   笑顔が似合うA君は、福島の実家の農業の大変さを話していました。
   「結局は、俺が帰って跡を継ぐしかないんだろうな。」
   お兄ちゃん達が大学を卒業してしばらくたったある日、パパは、
   「久しぶりにみんなで集まろう。あいつにも声をかけるか。」
   電話を受けたA君のお父さんは、一瞬絶句したそうです。
   「今日は・・・・、息子の葬式なんです。自殺でした。」
   たくさんの「なぜ?」があったけど、今でもなぜなのかはわかりません。

   コーヒーの生豆の取引をしている商社のM・Sさん。
   うちの店に業者の皆さんが集まった時、Sさんは1番最後に階段を降りてきて、
   スリッパの向きを直し、深々と頭を下げて出て行かれました。
   「自分流の生き方を貫いているあなたに習い、私もS流の人生を貫きたい。」と
   ブラジルの支社からパパに手紙を下さったSさんは、まもなくガンで残りわずかの
   命と宣告されました。命を延ばすための治療を断り、ご家族と共に日本各地を
   旅することを選ばれました。

   仙台に単身赴任していた会社員のK・Sさんとは、釣りに芋煮会、
   僕も一緒にたくさん遊びました。
   病気の検査の最中に発作が起き、そのまま旅立たれたそうです。
   「主人は、余程仙台で楽しい時を過ごしたようで、よく、退職したらもう1度
   仙台に行きたい、と話していました。」
   奥様からのお手紙に、パパとママはただ涙。

   そして、電動車椅子に酸素ボンベを積んで豆を買いに来て下さっていた
   F先生は、大学でドイツ語を教えていました。
   「終(つい)のすみかを求めて」という本を出版された先生は、講演会で
   僕のことを話されました。
   「彼は老いて足はふらつき、目もよく見えず、家族に面倒をみてもらっている。
   私は老醜をさらす前にきれいに死にたい。」
   僕は先生に手紙を出しました。
   「僕は哀れではありません。醜い姿になっても、1日でも長く大好きな家族と共に
   生きたい。」
   先生からは、すぐに葉書が届きました。
   「失礼した。うらやましい。ご隠居、君が元気でいる限り私もがんばろう。」
   大学の医学部に献体を申し出ていたF先生は、望み通り医学の役に立ち、
   静かに去って行かれました。

   僕達はここで皆さんとの出会いを待っているだけだけど、いろんな人生が
   目の前を通り過ぎていきます。
  
                      今日はここまで、またね。
                                          
Beethoven
『偶然ですが、K・Sさんは東京の大学でF先生にドイツ語を教わったそうです。』
ベーからの手紙      
  No.39  OCT.2. 2001
 
 元気ですか?
 今日は、うちの店のショーウィンドーを見て下さいね。
 今、仙台では「第7回仙台ショーウインドーデザインコンテスト」が
 開かれています。うちも、これに参加してるんです。


    さぁ、ウィンドーの前に立って下さい。真ん中のセント・バーナードの置物、これはドイツで
   作られたもの、首につけている樽はスイス製です。
   その足元の小さなバーナード犬、こちらはスイスのこしょう入れ。
   隣のコーヒーカップはロイヤル・コペンハーゲン、セント・バーナードがそりを引いている
   絵柄が描いてあります。
   右上で揺れているバーナード達はアメリカで作られました。
   仕上げは、僕のデザインのジャンパーです。
   そして手前の観葉植物、向って右の鉢をブラジルの生豆が入っていた麻袋で、
   左側はグァテマラの麻袋で包みました。
   じゃ、次は店の入口へどうぞ。
   この大きな樽いっぱいにブルーマウンテンNo.1の生豆がぎっしり詰まって、
   ジャマイカから運ばれてきます。
   その上の小さな樽はクリスタルマウンテン。
   でも、キューバからは豆は麻袋で届きます。樽には、日本に着いてから詰め替えます。
   ポットには、僕の家の前の柿の実と、裏の山の大きなイガ栗を飾りました。

   (コーヒーの麻袋は、デザインも袋の質も生産国によってみんな違っておもしろいです。
   とても丈夫な袋もあれば、目が粗くて生豆がポロポロ落ちてきてしまう袋もあります。
   イエメンのモカ・マタリはちょっと変わっています。
   麻袋の口を開けると、大きな竹かごが顔を出します。
   さらにその中に、10sの豆が入った布の袋が6つ。)

   バーナード犬の飾りはアメリカやヨーロッパからやって来た。
   コーヒーの生豆はアフリカ・アジア・中南米からやって来た。
   日本にいて、まるで世界に囲まれているみたいだ!
   今度うちに来た時は、店の中のショーケースものぞいていってね。
   ここにも、セント・バーナードの置物がいろいろ飾ってあります。
                      今日はここまで、またね。 
                                    
Beethoven

ベーからの手紙      
  No.40 OCT.15. 2001 

 元気ですか?
 あなたは、新聞の小さな広告に目を通しますか?
 毎日こんなお知らせも載ってますよね。
 「子犬、譲ります。血統書付き。」
 「かわいい子犬を差し上げます。」

   セント・バーナードと一緒に暮らしたいと思っていたパパとママは、ある日、
   新聞をめくっていた手をピタッと止めました。
          「セント・バーナードの子犬が生まれました。」
   2人の気持ちはすぐに決まりました。
   行き先は、仙台から北へ行った農村地帯。両側に田んぼを見ながら、目指す農家へ
   車を走らせました。そこにいたのは、昔、えびせんべいのテレビコマーシャルに
   出ていたような大きなセント・バーナードが2頭、そして、ころころとした子犬達。
   その中で1番可愛かった女の子が、1代目のベートーベンに選ばれました。
   なにを食べさせたらいい?散歩はどのくらい?ブラッシングにシャンプー・・・、
   パパとママは、本を読んでは精一杯面倒をみました。
   そして1代目が訓練所に入学することが決まった日、2人は強いショックを
   受けたそうです。
   「今うちにいるバーナードをお見せしましょう。」
   校庭に出てきたセント・バーナード達とベーとのあまりの違い!
   顔の作り、骨格、色、毛量、なにもかもが違う。これが同じセント・バーナード?
   「こっちはアメリカンチャンピオン、そっちは日本のチャンピオンです。」
   パパとママがベーを愛する気持ちになんの変わりもなかったけれど、
   「犬の違い」を見せつけられたことが「犬の世界」に足を踏み込むきっかけに
   なったみたいです。
   外見では他のセント・バーナードにかなわない1代目、だけど見事な脚力で
   ドッグショーを渡り歩き、グランドチャンピオンの称号をいただきました。
   (現在はこの称号はなくなりました。)
   1代目が息を引き取って2ヶ月後に生まれた僕。
   「どれでも気に入ったのを連れて行きな。」
   パパとママは、1番ハンサムな男の子を2代目に選びました。
   この子は予想以上のショードッグに成長し、連れて歩くのが自慢だったってさ。
     ・・・へぇ!
   さてさて、3代目はいったいどうなるんだろうね。

                            今日はここまで、またね。 
                                    
Beethoven