日本に輸出された
 最初のイタリア産セントバーナード

 メルクーリオが
     「日の本」に向かって飛んだ

            (マーキュリー来日顛末記)
                                        グイド・ザネッラ 文/高梨光正 訳


上から2番目、
庭の池はYさんの手作り
マーキュリー君には
ドイツの血も流れています
下から2段目の左側の写真は、
ヨハン



まさにその先駆けとなったのは、あの彼、イシハマ・ヒロシさんでした。
日本のセントバーナードの飼い主で、仙台市に店を構える「珈琲豆屋ベートーベン」の
気さくな店主です。
彼については、既に本誌12号にてご紹介した通りです。
そのヒロシが、2年ほど前に、AISBのホームページの商品紹介の広告の中に、
犬の首に付ける木製の小樽を見つけたのです。
実際この商品は上質のハンドメイド製品で、価格も手頃で、何よりも「イタリア製」というところが、
日本人の関心を引いたのでした。これは、たちまち彼の気に入るところとなり、
店内に飾られている様々なセント・バーナード・グッズと一緒に飾るべく、
すぐに1点を輸入したのです。
すると、愛犬家の友人達がそれを目にするや・・・たちまち大反響。
今や日本のセントバーナード愛犬家の間では、
このイタリア製の樽は大人気となりました。この樽は、ある意味「マニアック」な品でもあり、
しかも生産量がごく限られているという点でなかなか手に入りにくいということも、
追い風になっているのでしょう。

そんな日本では、そのうち、こんなことを考える人が出てきたと思います。
「イタリア人が、こんな素敵な樽を制作できるなら、絶対に立派なセント・バーナードも
繁殖させているに違いない」と。
おそらくこの点については、イタリアのセント・バーナードも、またブリーダー諸氏も、
さして異論はなかろうと思います。
そして事実、またしても我らの友人ヒロシが、数ヶ月前、イタリアのセントバーナードを
初めて日本に輸入するのに一役買ったのです。
詳細は、ジャパンケネルクラブよりご提供いただきました。
(注 イタリアへ情報を提供するに当たり、JKCと連絡を取っていくつか確認を取りました。)

きっかけは、こうして生まれました。
イシハマ・ヒロシの友人に、Y・ヒロシさん(どうも日本人にとって「ヒロシ」という名前は、
我々イタリア人にとっての「マリオ」という名前と同じくらい、ありふれた名前のようです。)
という方がいました。以下は、単純に「Yさん」と呼ぶことにいたします。
このYさんは、セント・バーナードの雄の子犬を、イタリアのブリーダーか、
できればスイスのブリーダーから手に入れたいという確固たる希望を持っていました。
それにしても、なぜ、かくも遠く離れた土地から1匹の犬を輸入したいなどと?

Yさんは、徳島の裕福なお医者さんで(注 ご家族が医師です。)、セント・バーナードに大いに魅了され、
2001年に、日本の有名なブリーダーから1匹あたり1900ユーロ
(執筆時のレート換算です。オスは25万円、メスは15万円でした。)もの大金を費やして、
オスとメスの子犬を購入しました。
ところがあろうことか、初期の頃から、これら2匹の子犬には明らかな関節障害が
みられるようになり、特にオスの子犬は、後脚を手術せざるを得ない程深刻な障害でした。
しかも、Yさんに障害を持った子犬を販売したブリーダーは、それでも飽き足らないのか、
子犬の血統書すら発行しませんでした。
(注 この原稿の入稿後、紆余曲折の末、それぞれ生後1〜2年経って、ようやく血統書が
   発行されました。)
Yさんとしては、できればセント・バーナードの繁殖を手がけたいと思いつつも、まさに、
こうした最初からの不運のせいでそれは叶いませんでした。
日本の名の知れたブリーダーのたった1人でも、このように悪徳を働くのであれば、
もはや再度日本国内で危険を冒すより、どこか他をあたるしか、
そう、できればセント・バーナードの故郷、ヨーロッパでどこかを探そう・・・。

こうして、今年の春先に、我々の共通の友人イシハマ・ヒロシを介して、
信用に足る人物として筆者を頼り、問い合わせが来たのです。
日本にもたらされる子犬は当然質の良い子犬でなければなりませんが、問題が問題なだけに、
何よりも健康な親から生まれた、健康な子犬でなければなりません。
「何という責任の重さか!」と、たちまち頭を抱えてしまいました。
確かに、血統書の発行を保証するのは大した問題ではありませんが、
(我が国のイタリア愛犬家協会・ENCI=Ente Nazionale Cinofili Italianiは最近業務が迅速になった
 感じがするので)それにしても、子犬の健康な関節を完璧に保証するなんて・・・どうしたものか?
残された道はただ1つ、腰部と脚関節部のX線撮影を精密におこなった親から生まれた子犬を
捜すしか方法はない、と思われました。
イタリアでも、ご存じのように、セントバーナードの体組織異常の危険性はいまだ解決にはほど遠く、
X線撮影を受けたセントバーナードは今のところ極めてまれです。
なんともこの問題は、極めて困難に思われました。

しかし、日本からの依頼が来て何週間も経たないうちに、HD・0という素晴らしい証明
(注 レントゲン検査の結果、関節に全く異常がない、という医学的な証明))を受けた、
美しいメス犬が交配するという噂が耳に飛び込んできました。
その母犬は名前を「アリアンナ」と言い、ボローニャのブリーダー、ヴィットーリオ・ファッブリーニさんの
所有犬なのですが、ロマーニャ州ラヴェンナ近郊、ブリジゲッラの丘に住むモッラ家に預けられ、
可愛がられている犬でした。
しかし、問題は半分しか解決していません。
と言うのも、オスのクリフ・フォン・フーガーホフ(訳者注 何だかすごい名前ですね。
 ドイツの貴族の名前です。)は、クレモーナ近郊のトッレ・ディ・ペルシア犬舎
(訳者注 これまた、「ペルシャの塔」というすごい名前。)所属の犬なのですが、
このオス犬は、1度もX線撮影をしたことがなかったのです。
そこで当然のことながら、彼の飼い主にできるだけ早くX線検査を実施するよう、
我々は働きかけました。
このオス犬が、現在4歳になるまで1度も関節障害を患ったことがなかったとしても、です。
そして、検査をしたところ・・・クリフの脚関節も腰部関節も状態は万全でした。

万事うまくいったようでした。子犬は2003年4月8日に生まれました。
全部でメス5匹にオス3匹で、みんな美しく、しかも見た目もみな健康でした。
「 In Si Minore イン・シ・ミノーレ 」(訳者注 シは、ドレミファソラシのシ、ミノーレは短調、
『ロ短調で』という意味です。繁殖者のご本業は音楽家です。)のホームページに
随時画像を更新しつつ掲載し、日本の友人達が、写真や血統やあらゆる情報を
確認できるようにしました。
決断するのはさして面倒なことではなく、3匹のオスの子犬の中から、
メルクーリオに白羽の矢が立ちました。
あまり茶色が濃くなく、そしてもちろん、骨格や顔つきが魅力的だったのでしょう。
まだまだ幼い、生まれて30日で判断できることはそう大したことはないとは言え、
動きからも、子犬のなめらかでしっかりした健全な関節の様子が見てとれました。

メルクーリオは、生まれて3ヶ月を過ぎた当たりで、いよいよ日本に向けて旅立つのが
可能になってきました。
日本の検疫当局は、日本国内に輸入される外国産の犬すべてに、入国1ヶ月前までの
狂犬病ワクチンの接種を義務づけています。
そこで生後60日で、メルクーリオはワクチン接種を受けました。
それより早くワクチン接種をおこなうのは、好ましくありません。
この狂犬病ワクチンは、低年齢期の子犬には極めて「負荷の大きい」ワクチンのひとつと
考えられているためです。
メルクーリオは生後3ヶ月を迎えて、健康状態も完璧な上、その体型の質もいよいよ向上してきました。

さあ、ついに大いなる旅立ちの時がやってきました。
ブリーダーとモッラ一家は、ミラノ発・大阪行きの飛行機を予約すべく情報を集めました。
ところが、なんとまあ、信じられないことが起こりました。
20キログラムそこそこの子犬を、せいぜい1立方メートルにも満たない専用ケースで輸送するのに、
いろいろな航空会社は全くもって信じられない金額を要求してきました。
当初、ブリーダーの見積りでは750ユーロ程度(同種の他の輸送例と比較して、
妥当な割合から計算した)だったものが、航空会社は、なんと1700ユーロから2400ユーロもの
金額を要求してきたのです!
当初考えていた金額よりも2倍、いや3倍以上もの金額などとは!
こうした要求にみな愕然とし、もちろん日本の購入者も言わずもがな。
すべてがだめになるような事態になってしまいました・・・神が力を貸してくれたならば・・・。
かつての300万リラを超えるような金額を、子犬を飛行機の貨物室に積んで送るだけの費用として
請求するなどとは、とても恥ずかしい限りです。

しかしYさんは、すでにいろいろな夢を思い描いて、子犬のためにあつらえた池や、空調機つき犬舎や、
遣り水などのある新しい庭を駆け回る子犬の姿を思い浮かべていたのです。
結局、総額2900ユーロという「穏当な」金額を支払うことで、Yさんは子犬の輸送を了承してくれました。
メルクーリオは、7月11日、午後1時30分にミラノ・マルペンサ空港から、途中インド経由で、
15時間の飛行時間をかけて大阪に向けて旅立つはずでした。
ところが、そううまくはいかなかったのです。
残念ながら、予想外の事態は終わりがないかに見えました。
技術的トラブルに引き続いて、アリタリアのフライトは出発直前になって、この航空会社によって
丸1日も出発が遅れることになったのです。
そのため、ブリーダーの一行は、ミラノの空港の近くで1泊を余儀なくされることになりました。
ロマーニャの家まで帰ると、子犬にはさらなるストレスを与えることになると考えたマルコ・モッラさんは、
ノヴァーラ(訳者注 ピエモンテ州の街でミラノからそう遠くない所)の近くに、遠縁の叔母がいることを
思い出しました・・。
2003年7月12日土曜日、午前7時30分、ついに最初のイタリア産セントバーナードが
日本に向けて旅立ちました。
水も口にできないであろう長旅を克服すべく、子犬には一定量の生理食塩水の
皮下注射を打っておきました。
航空会社は、見事な料金と引き替えに、空輸される動物の無事を保証すべく、
よく面倒をみてくれるということなのですが、もちろん、それでも不安はありました。 
神様のおかげで、すべてうまく行き、メルクーリオは若干疲れを見せたものの、
新しい家族に喜びと共に受け入れられました。

Yさんには、検疫当局の求める所定の必要条件がすべて揃っていたことにより、
自宅敷地内での子犬の法定検疫期間が短縮されることが認められました。
(注 空港の検疫所で過ごすのではなく、自宅検疫が認められました。
   検疫期間中、他の犬達は他の場所に預けられました。)
そのため、7月28日には、もう日本の道を探検することができるようになりました。
しかし、我々に届いた最初の頃の写真から判断すると、メルクーリオが「監禁」されていた場所は、
とても檻とはいえない立派なものです。

友人のヒロシが言うには、日本のセントバーナード愛犬家には2系統の血統が知られているそうです。
そのうちの1つ「アメリカ系」は、美しいが体が小さく、もう1つの「イギリス系」は、
大きいのだが必ずしも美しくならないといいます。
そして今回、いよいよ第3の血統、すなわち「イタリア系」が日本に登場することになる、
とヒロシは語っています。
この「イタリア系」について、私は、最後にひと言付け加えたいと思います。
  「我々は、日本でのイタリア系セントバーナードが、美しい血統となると同時に、
            何よりも健康であることを祈ります」。


写真キャプション
左ページ
上から
1) 日本の南にある徳島市の有名な夏祭り、「阿波踊り」の伝統衣装を着たメルクーリオ
2) 日本の見事な庭でのメルクーリオ
3) ミラノ・マルペンサ空港から出発前のメルクーリオ
4) 生後40日のメルクーリオ。他の兄妹たちも外国へ向けて飛び立ちました。
  ミネルヴァはポルトガルへ、ミケランジェロとモルガーナはフィンランドへ。

真ん中ページ
左から
1) イタリアのモッラ家のみんなと一緒にいる子犬達
2) 日本での新しい飼い主、Y・ヒロシさんと一緒にいるメルクーリオ(マーキュリー)

(訳者後記  グイドは、イタリアの読者向けにこの記事を書いていることを考えて、あえて、
 現在のマーキュリー君は、イタリア語のまま「メルクーリオ」と訳してあります。
 イタリアを相手に日常仕事をしている身としては、この騒動の関係者皆様のご苦労が
 目に浮かぶようです。
 アリタリアの飛行スケジュールの変更や機体トラブルはしょっちゅうで、旅客便もよく遅れます。
 気が気ではなかったでしょうね。
 イタリアは、「期待を裏切って予想は裏切らない(この予想とは、もちろん悲観的予想のことです)」
 というのが、僕の口癖です。
 もちろん、裏切るのはイタリアの官僚や会社の組織であって、親しい友人ではありません。
 友人は、心から友人のために一肌脱ぐ、というのがイタリアなんですよね。
 何ともイタリアらしい話でした。)

ローマ出張からの帰国後、激務に忙殺される中、この記事を翻訳して下さった高梨光正氏、
そして、日本からの希望を叶えるべく誠心誠意動いて下さった、
マルコ・モッラ氏、ヴィットーリオ・ファッブリーニ氏、グイド・ザネッラ氏に、
心からの感謝の気持ちと、変わらぬ友情を捧げます。   ありがとうございました。